◇ダークエンジェル3 天使の涙



 漆黒の宇宙。
 無限に広がるその先にあるもの。未だかつて見たことがない最果て。そこにあるものは闇か光か。 
 誰も知らない。


 第一話 新たな使命

「たく、人使いが荒い連中だぜ。」
 乱馬は吐き出すと、持っていた書類を膝の上でトンと立てた。
「仕方ないでしょ?指令は指令なんだから。」
 傍でなびきがにんまりと笑っている。
「でもよう、まだエウロバの任務から帰って来て、三日も経ってねえんだぜ。」
「三日もあったら休養の方はばっちりでしょうが。贅沢言うんじゃないの。最前線の兵士はその三日の休養っだって与えられないことが多いのよ。」
「ちぇっ!俺は軍部の兵隊じゃねーぞ!天道運送会社の社員だろうが。」
「まあ、表向きはね。」
 なびきはまだ言い足らぬと口でもごもご繰り返す乱馬を制して言った。
「はい、これが今度の指令の詳細データーよ。ちゃんとインプットしておいてあげたから、メインコンピューターでチェックしなさいよ。」
「畜生!おまえらはいいよな。いつもこき使われるのは俺たち実戦隊なんだからよう。」
「ごちゃごちゃ言わない。あ、それから作戦名は「月のウサギはるんるんるん」だそうよ。」
「ああん?何だ、そのるんるんるんってーのは。」
 乱馬は思い切り顔をしかめてなびきを顧みた。
「さあね。かすみお姉ちゃんのネーミングだから。」
 なびきはそれだけ言うと黙ってしまった。
「かすみ…さんか。物凄いセンスだな、相変らずよう。」
 苦笑をして見せてから乱馬は一つ、長い溜息を吐き出す。

 かすみはこの天道運送会社の社長、もとい、イーストエデン隊長、天道早雲の長女だ。柔らかな人当たりとは裏腹に、かなり激しい性格を隠しているというもっぱらの噂であった。この一見温厚なかすみの指令に、誰も文句を言わないところが、かえって不気味さを感じさせるのだ。

「出発は明朝、七、丸、丸。わかってると思うけれど、今度の運搬は物じゃなくって人だからね。せいぜい安全運転して頂戴よ!」
 七丸々とは地球時間の午前七時丁度のことだ。この広い宇宙では、地球のグリニッジ天文台のあるイギリスに時刻が合わされるというのが常であった。これを基準に運送便などは運行されるのだ。
「でも、あかねが…。」
 乱馬はそれだけを言って言葉を切った。言っても無駄だということが彼なりにわかっていたからである。
「あかねのことは、あんたに任せてあるんだから。パートナーでしょ?」
 なびきは柔らかな視線を彼に向けた。それからしゃきっと背筋を伸ばした。
「早乙女乱馬、任務を受け、明朝七時、天道あかねと共に出発いたします!」
 乱馬も背筋を伸ばして敬礼した。なびきもそれを受けて敬礼。
 任務了解の合図だ。これで、一応、面倒なディスカッションから開放される。ケジメというわけだ。
「まあ、あと出発まで十時間はあるから、あの子だってもう少しは回復するんじゃないの?」
 含み笑いを浮かべた。
「せいぜい面倒見てあげなさいな。だてに許婚やってるわけじゃないでしょう。」
 そう言うや否や、彼女は退席する。これで己の任務は終了と言わんばかりの身早さだった。

 パタンと扉が閉まる。

「たく、あかねの奴のダメージは相当深いんだぜ。身内ならもっと心配しろよ。」
 なびきの後姿を見送った後、乱馬は吐き出した。ここに於いては任務は何事にも優先する。それが組織と言うものだということがわかってはいたが、感情は御し難い。

 束の間の惰眠を貪るために、居住区に戻る。その途中、乱馬は医療センターに足を踏み入れた。

「やあ、乱馬君かい。」
 東風は黒縁の丸い眼鏡を光らせて彼を招き入れた。
 ここのブースの主治医。彼によってこの部隊の健康は維持管理されている。
「あかねの様子はどうです?」
 まずは尋ねる。
「順調に回復はしているようだよ。脳波も安定してきた。呼吸も一定している。」
 東風はモニターを切り替えながら答えた。
 目の前の空中画面に映ったのは、何かのデータ。そう、あかねの脳波である。乱馬はそれを食い入るように眺めた。
 各人のベッドには体調を管理するための簡単な装置が埋め込まれている。それをモニターで映し出しているというわけだ。
 この前、ハルの側近の一人、ゼナの老師サジェを闇に返したあかね。最高級幹部の一人を仕留めたのだ。乱馬が始めに思ったよりもそのダメージは深かった。
 普通のゼナの人間の闇ならば、一日も休めばけろりと元通り目覚めるあかねである。だが、今回はそうもいかないらしい。
 眠っていても脳の波動は乱れて揺れ動いていると東風が教えてくれた。
「それだけ、仕留めた闇が深かったんだろうね。」
 この優しい医師は眼鏡の縁を押さえながらそう言った。
 無へ帰した相手の闇が深ければ深いほど、あかねは、なかなか回復できないのである。
 ずっと眠らせるわけにもいかないから、このブース基地へ帰還してからは、通常の生活リズムに戻してはいる。
 起きている間は、この勝気な娘。闇のダメージを億尾にも出さない。だが、それが返って抱え込む原因となり、眠っている間中脳波を乱すと言う訳だ。
「飛びながら回復させるしかねえか。」
 乱馬はポツンと吐き出した。
「君も大変だな。」
 東風は深く溜息を吐き出しながら言った。

(それが俺たちの運命ならば受け入れるしかねーから…。)
 乱馬は言葉を音にはしないで、手をぎゅっと握った。

 そう、あかねという「漆黒の天使」と出会ったその日から、己の運命は変わってしまった。それを嫌だと思ったことはない。彼女の背負う闇の翼を支えるのが、己だと自負していた。
 だが、闇に苛まれる彼女を傍で見るのはいた堪れなかった。
 あかねの受けた心の傷が、痛いほど己にも伝わってくるのである。
 だが、己にはあかねの傷を癒すことができない。勝気な彼女は、受けた傷を乱馬には隠そうとする。起きている間は、必要以上に明るく振舞おうとする。それがかえって痛々しく映るのだ。

 東風の元を辞すと、真っ直ぐに居住区へ帰った。
 己の部屋の前を通り過ぎ、隣り合わせのあかねの部屋の前で足を止めた。どうしようか迷ったが、彼は部屋の鍵を、指紋認識で外すと、中へ入った。

 各人の部屋は、一応鍵がかかる仕組みだ。規則上は他人は入れない。だが、乱馬とあかねに限っては、互いの出入りは自由に許された。「許婚」だから特別扱いなのである。
 乱馬があかねの部屋へ入ることがあれば、あかねが乱馬の部屋へ来ることもある。
 何もない己の部屋とは少し様子が違って、彼女の部屋には可愛いぬいぐるみや人形たちがさり気なく置かれている。枕元には、かすみが作った乱馬人形がちょこんと座っていた。
 二人の任務が分かれても常に一緒に居られるようにとかすみが丹精こめて作り上げた人形だ。実はこの人形の中に、乱馬の念が込められた「魔石」が埋め込まれてある。己が傍に居られないときでも、彼女が闇に食われないように、常に守ってやるために、この人形は作られた。
 勿論、あかねは知る由もない。

 薄明かりの中、乱馬はあかねの顔をじっと見詰めた。
 闇に苛まれながら苦渋の眠りに就く天使の寝顔がそこにあった。
 彼の気配を感じたのだろう。あかねはふっと目を開いた。
「乱馬…。」
 口元が硬く象る。
「明日から任務だ。さっき、なびきから指令を受けてきたよ。」
 乱馬はベッドに腰を下ろしながら囁きかけた。
「任務…。」
「ああ、まだ完全に回復しきっていねーおまえにはきついかもしれねえがな。」
「大丈夫よ。もう殆ど回復してるわ。」
 あかねはつぶらな瞳を見開いて、乱馬を見つめ返した。この気丈な娘は決して弱さを見せようとはしない。精一杯強がって見せる。
 乱馬にはそれが愛しくて溜まらない。
 本当は今にも折れてしまいそうな脆さを持っているのに、精一杯虚勢を張ってみせるあかね。時々見せるか弱さに、心底惚れてしまっていることを感じる。
「出発は明日の朝だ。」
 乱馬はじっとあかねを見詰め返した。
「飛べるな。」
 確認するように言い含める。こくんと彼女の頭が動いた。
「明日からはまた宇宙船の中だ。しっかり睡眠をとっておけよ。まあ、指令地へ飛ぶ間は、睡眠カプセルの中だろうから、半分眠っていてもいいわけだがな。」
 あかねの髪を撫でながら言った。
「乱馬、今夜は自分の部屋へ帰って寝るの?」
 あかねは乱馬を見上げた。頼りなげに揺れる瞳の輝き。
「ここに居て欲しいなら、素直にそう言えよ。バカ。」
 まだ闇に苛まれ続けているのだろう。返事の代わりに、あかねのか細い腕が伸びてくる。それを握り返しながら乱馬はそっと口付ける。冷たいあかねの腕。まだ抱えた闇が浄化されきっていないことを伺わせる。
(まだおまえの身体の中にサジェの闇が漂ってるのか…。)
 乱馬は口付けながら身体を力なく横たわるあかねの傍へと滑り込ませていった。小さく震えるその身体をしっかりと腕に抱えると、包み込むように優しく抱き締めた。
「乱馬…。あったかい。」
 離した口で一言呟くと、あかねは彼の胸に全霊を預けゆっくりと目を閉じる。
 トクン、トクンと響く彼の心音は、彼女の「孤独の闇」を浄化してゆく。乱馬のぬくもりは他の何にも代えられないあかねの安らぎであった。
 彼の鼓動に己を共鳴させながら、柔らかな眠りへと落ちてゆく。

「おやすみ。あかね。」

 乱馬は目を細めた。
「明日からまた、漆黒の空へ飛ばなければならない。ゆっくり安め。俺も休もう…。おまえの傍で。」
 あかねの鼓動を感じながら、彼もまた目を閉じる。彼女の手はしっかりと己の身体に巻きつけられたままだ。あかねの抱えた孤独の闇が己にも伝わってくるような錯覚に駆られる。
 この闇と、今、彼女は懸命に戦っている。眠りながらも、取り込んだ闇を浄化するために全神経を傾けている。この小さな細い身体のどこに、深い闇を抱え込める余裕があるというのだろうか。
 乱馬はゆっくりとあかねに己の気を同調させる。冷たかったあかねの身体に、少しだけ体温が戻ったような気がした。
「地獄の果てまで、一緒だ…。あかね。」
 そう囁くと、大事そうに腕に抱え込んだ。そして、あかねを感じながら目を閉じる。
 


「乱馬君にはやっぱり癒しの波動があるみたいですね。」
 映し出されたモニターの波動を見ながら東風が囁いた。
 同じくモニターを覗き込むヒゲ面の親父が一人。ここの責任者の天道早雲だった。
「やっぱり、彼と一緒だと、あかねは安定しているのかね?」
 早雲は腕を組んだまま、東風に話し掛けた。
「ええ、さっきまで、揺れていたあかねちゃんの脳波が安定しました。僅かですが、体温の上昇も見られます。」
 いくつか画面を切り替えながら東風は早雲に答えた。
「乱馬君から離れると、波動は揺れますが、彼が傍に戻ると、ほらこのとおり。全く揺れがありません。」
「互いに引き合っているという証拠か。」
「ええ、恐らく…。」
「ダークエンジェルの超力も二人共に居て、発動されるというのと関係があるのかもしれないな。」
「今の段階ではまだ仮説ですが、あかねちゃんの闇を統べるもの、それが乱馬君なのかもしれません。彼女の力を解放するのも彼ですから、それを納め、浄化するために、何らかの彼の力もまた、働くのはごく自然なことなのではないでしょうか。」
「この力は一種のミュータント…なんだろうか?」
「まだデーターを蓄積していかなければ、結論は出せませんが、恐らくはミュウの超力に通じるものでしょう。少なくとも、ゼナの連中にとっては嫌な能力であることは間違いありませんが。」
「データーの蓄積か。あまり自分の娘とその許婚を、こうやって監視したくはないがな。」
 早雲は難しい顔をした。
「この超力が果たして人類のためになるものなのか否か、我々にはそれを突き止める義務があります。」
 東風は声を落として言った。
「嫌な役目だな。」
 早雲は静かに天井を見上げた。
「いずれ、こっそりと埋め込んだ魔石からのデーター集積も彼等の知るところになるのかもしれませんが。」
 東風はモニター画面を切り替えながら言った。
「その際は憎まれ役に徹する覚悟はとっくにできているさ。」
 早雲は寂しそうに微笑んで見せた。
「今度の任務、あかねには辛いものになるだろうな…。あのデーターを見る限りは。任務に優劣の贅沢は言っておられんのだろうが。」
「彼女なら大丈夫でしょう。傍に乱馬君が居ますからね。隊長、いえ、社長。珈琲を入れますから飲みますか?珍しく、地球製のが手に入りましたから。」
「いただこうか。」
 
 青白く浮かぶモニターの向こう側には、果てしなく広がる漆黒の宇宙が映し出されていた。





つづく




補足
ゼナについての釈明
 当初、別の名称を使っておりましたが、某宗教団体の名前と一致していたため、今回のサイト作業(2011.11月)で、「ゼナ」に改名しました。
 勘の良い方は既にお気づきのとおり、この名称も太陽系の第十惑星という想像上の謎の惑星から創作しています。
 この惑星については昔から諸説があります。人類はそこから来た人間に作られただの、超古代文明はそこの文明だの、ノアの箱舟で知られる洪水も実はこの惑星が近寄ってきたことによって引き起こされただの・・・。
 あくまでも想像上の産物で確認はされていません。そこに存在する謎の組織体。その辺り、今後のプロットの展開にも勿論影響してくるはずです。そのつもりで創作設定しましたので。
 最近、第十惑星はイヌイットの海の女神の名前から「セドナ」と呼ばれるようになっています。そっから引っ張って「ゼナ」としました。
 なお、この作品は太陽系以遠の外宇宙には出ていない時代を設定しています。
 以遠に出てしまうと、創作の根本も変わってしまうという…(意味深)。その辺り、読み進めるうちに、骨格が見えてくると思います。いつ見えるかと問われれば不明でとしか答えようが無いのですが…(汗


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