漆黒の天使たち


八、ダークエンジェルの涙

 あかねに睨まれて、サジェは背中がますます震えてくるのを隠すことはできなかった。
 逃れようと足掻いても身体はしっかりとあかねに結ばれた機械に繋ぎとめられている。そして直ぐ後ろには乱馬が控えている。袋のネズミだった。

「おまえたち…。この強大な暗黒エネルギーの渦。ま、まさか…。」

 サジェは怯える瞳を乱馬に巡らせた。ごくんと唾を飲み込む。

「この超力(ちから)だけは解放したくなかったが…。」
 乱馬は背後からゆっくりとにじり寄る。残酷なほど冷静な声が響き渡る。
「おまえが目覚めさせたんだからな…。俺たちの中に眠る超力(ちから)を…。」
 サジェ肩に乱馬の両手がそっと添えられた。まるで逃がさないと言いたげに、軽く肩を掴む。
 
 その動作に呼応するようにあかねは無表情な目を称えたまま、静かに己に繋がれていた器具を外し始める。カタリ、コトンと無機質な音が響き渡る。
 全て外し終わると、ふっと両手を真一文字に広げた。と、あかねを封じ込めていたカプセルが、粉々に飛び散り、跡形も無く吹き飛ぶ。中から培養液が溢れんばかりに飛び出した。
 それからあかねは落ちることなく、己の力でふわりと宙へ浮き上がる。その背中には大きな暗黒色の羽が天へと伸び上がっているかのように見えた。
 
 ずっと睨みつけられた視線を外すことができずにサジェは震えていた。
 そう、その時、初めて悟ったのだ。
 相手にしてはいけない者たちを招き入れ、目覚めさせてしまったことを。

「暗黒の天使、ダークエンジェル…。貴様らが、あの暗黒の戦士の…。」
 

 あかねは返事の代わりに、右手をつうっと前に差し出した。掌を下に、人差し指だけをすっと真っ直ぐにサジェの方へと差し向ける。それから静かに囁き始めた。
「暗黒より生まれいでしゼナの妖精よ…。汝、我の超力で闇に帰れ。」
 それに続いて乱馬が囁いた。
「汝、我が腕に抱かれ、静かに眠りにつけ…。闇の中で…。」

「嫌だ…。ワシはまだ帰りたくはない。」

 サジェがそう叫んだと同時に、空間が唸りを上げた。
 あかねの差し出した指先から、暗黒の光が解き放たれて行く。乱馬が掴んだままのサジェの身体に向かって一直線に飛んだ。

「うわあああ…。」

 その光はやがてサジェを包み込む。まるで闇に飲まれてゆくように、サジェの身体は小さく縮み始める。標的が逃げないように、乱馬はそれを力で押し留めるのだ。
 やがてそれはサジェの断末魔の叫びを呑み込みながら、小さな黒い輪になった。
 乱馬の両掌の内側にすっぽりと丸めこまれるくらいの大きさだ。
 彼は両手を合わせるようにして、丸くなった闇の玉を手に取る。そしてそれをあかねの方へと念力で飛ばした。
 あかねはその闇をボールのように掌で受け取ると、己の手を胸の前で翳す。そして、目をぐわっと見開き、一気に両脇から掌を開いた。
 左右の掌を広げ、闇を両側から押し込めて閉じてゆく。
 闇のボールはあかねの掌にぴったりと吸い付くように押し潰され、消えてゆく。
 あかねの掌は合わせられ、合掌するようにピッタリとくっ付いた。髪の毛が一瞬弥立つように後ろに靡く。暗黒を称えた瞳は静かに祈るように閉じられてゆく。

 やがて、辺りは再び静寂に捉えられた。

「あかね…。」
 全てが無に帰したとき、乱馬は愛しき者の名を象った。

 まるでそれを合図にしたかの如く宙に浮いていたあかねの身体がくらっと揺れた。そして、バランスを失い空に投げ出された。
 乱馬は飛び出し、あかねの身体へと手を差し伸べた。
 はらりと舞い落ちるあかねの肢体は、柔らかく彼の腕の中に落ちてゆく。
 二双の黒い羽が闇の中で絡み合ったように見えた。

「終わったのね…。また一つ漆黒の魂が闇へ…。」
 あかねは定まらぬ目で空を見詰めたまま、そう呟いた。
「ああ、帰った。だから…。もういい。超力を納めろ。」
 乱馬はそう呟くと、濡れた唇をあかねの口へと重ねた。
 あかねは氷の涙を流しながら、静かに目を閉じる。
『乱馬…。』
 その合わせた唇から微かに彼の名を呼ぶ声が聞こえてきたような気がする。

 己たちの本当の任務は、迷い出でし、ハルによって黒く染められたゼナの魂を暗黒の世界へと導き返すことにある。
 誰彼から命じられたものではない。たまたま同じ波動の魂を持ち、出会ってしまったことに全てが起因する。彼女が居なければ或いは、出会っていなければ或いは…。その超力は永久に目覚めることもなかったかもしれない。何故己たちにそんな能力が芽生えてしまったのか。まだ確たる理由は確立されていなかった。
 だが、そんなものはどうでもいいと彼は思う。あかねの超力が己を呼んだのだ。そう信じたかった。
 漆黒の闇を司る女神があかねなら、その傍にずっとかしずく男神。それが己なのだと自負する。
 孤独に苛まれながら、闇に染まる彼女を包み込めるのは最早、己しか存在しないのである。あかねの中に眠る深い闇を解放し、そしてそれを治める者。それが乱馬であった。

 超力を使い果たして眠りに落ちたあかねを、じっと腕に納めながら、穏やかなダークグレイの瞳を傾ける。それから、彼女を抱いたまま、乱馬はイーストエデンのエージェントとしての任務を履行する。
 この星を粉砕し、ダークエンジェルの気配を消すこと。予め書かれたシナリオのとおりにこの星の状態を構築すること。
 手慣れた手つきで次々にそれらを構築してゆく。
「悪いな、良牙。今回の任務で選ばれた捨石はおめえだったって訳だ。」
 乱馬は小さな箱の中で気を失っている黒豚に囁く。それから、彼を解放し、湯を浴びせ掛けた。後は、地球連邦本部に向けて打電する。
『任務完了。響良牙』と。
 彼は予め任務履行時に利用されるためにここへ貼り付けられた大根役者。当人は驚くに違いないが、手柄として扱われる。下手なことは言えまい。
 恐らく、かすみ辺りがそれを見越して良牙を選び、他のイーストエデン支部から手配してきたのだろう。彼女の手腕は誰しもが認めるところ。あのとぼけた天然の微笑みから繰り出される鋭い刃。良牙は易々と利用されたことになる。
「今度会ったら多分、詰め寄られるだろうけどな…。」
 乱馬はくっくっくと笑った。
 後は連邦の木端役人どもが粉砕され尽くしたこのヘレーネに到着し、エレナス夫人を罪人として裁くだろう。勿論、彼女は再び目覚めることはあるまい。あかねの生体エネルギーを吸い尽くそうとして逆に崩壊した惨めな女。エレナス夫人。
 勿論、サジェの記録は残らない。闇から闇へと葬られる。
 そして、土星衛星へレーネは連邦政府に収監されてしまうだろう。あとは廃墟となるか、再び新しい家主がここを開拓するか。そこまではわからない。
 

「さて…。帰還するか。」

 乱馬はリストバンドを装着すると、眠ったままのあかねを抱いた。ダークホース号を呼ぶ。そして、それに乗り込むと、すっとヘレーネを離れた。
 誰も知らないまま、飛び去るのである。彼らが飛び去った後に、地球連邦のパトロール艦が駆けつけるという段取りだ。
 ダークホース号は無傷であった。
 ヘレーネから遠ざかりながら簡単なチェックをする。それが終わると自動操縦に切り替える。
 それから乱馬は先にあかねを寝かせた睡眠カプセルを開く。
「到着予定まで十日か…。」
 それだけを言うと、己も一緒に潜り込む。
「十日間、ずっと抱いててやるよ…。おまえが仕留めたやつの孤独の闇に苛まれないように…。目覚めたらすぐ傍で微笑むことができるように…。俺ができることはそれくらいだからな。」
 そっとあかねの額にキスをすると、たおやかに彼女を抱き寄せる。
 あかねの悲哀に満ちた蒼白な顔に、少しだけ赤みが差し始める気がした。
 己の胸に深々とあかねの顔を沈め、柔らかく包み込む。トクン、トクンと響く己の心臓の鼓動に、あかねの鼓動も共鳴を始める。
「あかね…。」
 それは太古から求めてきた己の半身。昔は一枚岩だったに違いない。
 カプセルの中で溶け合うように安らかな眠りに就く。束の間の休息に全霊を委ねながら。

 ダークホース号は木星星域へと向かって静かに漆黒の宇宙空間を飛び続けた。







 ダークエンジェル。
 何時のころからか、人々はイーストエデンの敏腕エージェントをそう呼ぶようになった。
 背中に漆黒の羽を持ち、それが開くとき、確実に獲物を捕える。闇を闇に返す超力を持ち、ハルからも恐れられる彼らの素顔は誰も知らない。







     ダークエンジェル 3 天使の涙へ続く…



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