◇漆黒の天使たち


 六、火蓋


 じいさんの鋭い視線が一方向へ注がれる。

「ふん、ばれちまったら出てゆくしかねえか。」
 少年の声が響いた。
 すっと現われた少年は頭に黄色いバンダナを巻いていた。良牙だ。
 豚になって忍び込んだ彼は、持っていたお湯のカプセルで人間へと立ち戻ったのだ。
「ネズミが一匹。イーストエデンの手のものか。」
 にやりとじいさんは笑った。
「そこまで分ってるなら、こっちとらの任務もやり易いってもんだ。」
 良牙はがばっと銃器を構えた。銃口はエレナスの方へと向いている。
「さて、地球連邦の裏切り者さんよ…。こんなところに秘密基地を作ってゼナとつるんでいやがるとは。いい根性だぜ。おばさんよう…。」

 「おばさん」という言葉を聞いてエレナスが逆上する。
「おのれ、私が火星領事のマーキス卿の夫人とわかっての狼藉かえ?坊やっ!」
 鋭い視線が良牙に投げつけられる。
「そんなこと、俺の知ったこっちゃねえ。イーストエデンはおめえたちみてえな、ゴミはさっさと処理しちまうのが任務なんでな。」
 
「ほお…。威勢だけは良いようじゃな。」

 臆することなくじいさんは笑っていた。

「どら、イーストエデンのエージェントのお手並みがどのくらいなのか、試してやろうかのう…。」
 じいさんは傍にあったリモコンのスイッチを入れた。
 ガアーっと音をたてながらガラスのシャッターが瞬時に下りて来た。
「どういうつもりでえ?そのオバサンと俺との間にシールドでも張ったつもりか?」
「何、折角手に入れた生体エネルギー源を壊されてはかなわぬからなあ。ほっほっほ。それに、わし一人で貴様如き、十分事足りるわ。」
 じいさんの瞳は妖しく光り始める。
「けっ!老いぼれが…。」
 良牙は唾を弾き飛ばした。
「ふふ、かかって来い!」
 
 戦いの火蓋が切られた。
 良牙は光線中を片手に暴れ始めたのだ。
「ふっ!そんなくらいでワシを倒せるとは思うなよ。」
 じいさんは良牙の思っていた以上に動きが機敏であった。彼の撃つ光線はことごとく避けられる。
「こいつ…。」
 良牙は銃を左手で持ちなおすと、右の人差し指を構えた。
「爆砕点穴!」
 やおら、床へと人差し指を突き立てる。

 ゴボッ!ガゴン!

 床は彼の指の波動を受けて、面白いように盛り上がる。

「ほお、おぬしもミュウか…。面白い超力(ちから)を持っておるのう…。」
 じいさんはそれを避けて飛び上がる。
「これを待ってたぜ!」
 良牙はだっと銃を構えた。空に避けたじいさんを狙い撃つつもりだったのだ。
「させんっ!!」
 じいさんはくわっと目を見開いた。
 謎の光線がじいさんの眼から真っ直ぐに良牙に向かって飛び出した。
「うわーっ!」
 一瞬の眩しさに良牙は思わず目を閉じる。その一瞬の隙を突いたじいさんは、良牙の横にすっくと立った。
「なかなかやりおるのう…。じゃが、そこまでだ。」
 彼は良牙の銃を叩き落とした。カランと音をたてて光線中が転がった。じいさんは良牙の首の前に手刀を当てた。
「所詮、イーストエデンのエージェントもこのくらいの力か。」
 にやりと笑う。
「ふん。そんなに甘いものじゃねえぜ。俺だって死線を潜り抜けてきたからなあ。」
 良牙は慌てずに、言葉を返した。
「ワシには虚勢を張っているとしか見えんがのう…。」
「そうでもないぜっ!」
 良牙は満身から力を発した。身体中の気を一点に集中させ、再び技を繰り出したのだ。

 バアンッ!

 そいつは良牙の目の前で弾けた。
「やった…。」
 だが、じいさんの姿形はどこにもない。
「しまった、俺が戦っていたのは。」

「幻じゃよ。ワシの作り出した幻影じゃ。」

 じいさんは良牙の後方から声を掛けた。

「惜しかったなあ…。」
 くくくと笑ったじいさんは、良牙に向かって水を浴びせ掛けた。
「畜生っ!何で俺が呪泉の呪いにかかってると…。」
 そう言ったまま、彼は絶句した。
「ふん…。イーストエデンの半分のエージェントはミュウの超力を持つ呪泉の被呪者だということは、ゼナの支配階級にはわかっておるんだよ…。ワシのようなな…。」
 鋭い視線が良牙を睨みつけた。みるみる縮む良牙の身体は、ちっぽけな豚へと変化する。
「豚か…。おまえさんにはお似合いじゃのう、っはっはっは。豚の姿だからこそ、このセキュリティーの壁を突っ切ってこられたということか…。」
 愉快そうに笑う。
「ついでじゃから教えておいてやろう。ワシはゼナの老師サジェじゃ。ハルさまの側近の一人のな。惜しかったのう、坊や。おまえもハルさまの忠実な部下へと洗脳しなおして、イーストエデンへ送り返してやろう。この少女の生体エネルギーを取り出した後にな…。ふふふふ。」
 ジタバタと足を踏み鳴らして悔しがる黒豚、もとい良牙を摘み上げると、ダンと捕獲檻に入れてしまった。ガシャンと鍵も掛けられた。
「しばらく眠って貰おうかのう…。」
 そう言うとプシュッとスプレーを吹き付ける。黒豚は恨めしそうに一声上げると、バタンと檻の中に倒れ込んだ。

「いつにまして、見事なお手並みだねえ…。老師。イーストエデンの坊やなど敵ではないかえ…。」
 ガラスのシールド越しに、エレナスが語りかけた。
「当たり前じゃ。誰に向かって言っておる。ワシは無敵じゃ。負けたことなどないわ。はっはっは。」
 響く高笑い。
「さてと、邪魔者はこれで居なくなった。後は、もう一人、彷徨っている少女を捕獲してここまでしょっ引いてくれば、今回の仕事は完了じゃ。イーストエデンのエージェントというお土産もできたし。くくく。こいつからイーストエデンの組織情報も貰えば良いしな…。」


 ビービービーとブザーが鳴り渡った。

「何事?」
 きっと眉間に皺を寄せて、エレナスがブザーへと耳を傾けた。

『緊急通告!こちら第三ブロック!第四ブロックのセキュリティーを侵入者の少女に突破されました…。予想以上に強いです…。この少女は…・こちらに向かって真っ直ぐに突き進んできま…わああああっ!』
 救難信号を送ってきたこの星の防衛隊員の声がそこで途切れた。後に続くのはバアンという爆裂音。

「こら、少女一人捕獲できないで何をしておるのじゃ!?」
 老師サジェが檄を飛ばして通信機に向かって叫んだ。


『第二ブロック、破られました。ダメです。誰にも止められません。もうじき第一ブロックも…。わああああっ!』
 こちらも音信が途切れた。

「何をやっておるんじゃ?」

『こちら、第一ブロック…。全部ブロックの機能停止。ターゲットは真っ直ぐドームへと向かっていま…す…。』
 そこで事切れたのか、ぷつりとも音がしなくなった。

「何じゃと?少女一人捕獲できずに、やられっぱなしとは…。まさか。この少女も…。」
 老師は歯ぎしりをして通信機を握りつぶした。

「どいつもこいつも歯応えのねえ連中だぜ…。」

「誰じゃ?」

 老師は声のした方をギロリと振り返る。

 そこには全身に銃器を軽々と持った一人の少女の姿が浮かび上がった。迷彩色の戦闘スーツを着込んでいる。凡そ、その姿形にはそぐわない勇ましい颯爽とした姿であった。

「よお、木星で会ったじいさんよ…。おめえがやっぱり裏で糸を引いてやがったか…。ゼナの老師サジェさんよ…。」

 澄み渡る声が響いた。

「おまえ、ワシの名前を…。」
 サジェが睨みつけた。
「ふふ。良牙とのやり取りは全てこいつから聞かせてもらったからな。」
 ぶうんとハエ型の偵察機がそこを回っていた。乱馬はこいつから必要なデーターを集積しながらここまで突き進んできたのだ。抜かりはなかった。
 老師はそのハエを目の前で叩き落した。
「ふん。おまえもまたイーストエデンのエージェントなのか。」
 そう吐き捨てるように言った。
「だったらどうする?」
 乱馬は静かに武器を身構えた。寸分のムだな動きもない。彼の強さは先ほどの良牙とはてんで比べ物にはならない。そんな予感が老師の中に芽生えた。彼もまた、死線を潜り抜けた少女に違いない。
「良かろう、面白い。イーストエデンの手のものを二人も捕獲できれば、お前たちの組織のことをバラスのにはもってこいだ。」
 老師は再び身構える。
「それはどうかな…。俺を倒せたらという条件がつくけどな。」
「ぬかせっ!お前たち人間如きに倒されるような柔な老師サジェさまではないわ。」
 じりじりと間合いを詰める。
 乱馬は獣の目を向けて、じっと老師を牽制した。
(こいつ、強え…。今まで相手した中でも狡猾で秘めた力を持っていやがる。流石にゼナの高官と自負しやがるだけのことはあるな…。ダークエンジェル。こいつの力を借りなければならねえかもしれねえ…か。)
 あかねの方をちらりと見やった。
 彼女はカプセルの中に入れられて、静かに浮き沈みを繰り返していた。見たところ、何の危害もまだ加えられてはいないようだ。
「どこを見ているのかね。余所見はいかんよっ!」
 先に攻撃を加えてきたのは老師の方だった。
 一瞬あかねを見やって隙を見せた乱馬に容赦なく牙を向けてきた。

「ほっ!」

 乱馬は銃器を持ったまま後ろへと飛んだ。そして、着地ざまに一発、砲弾を浴びせ掛ける。
 バアン!ガラガラ…。
 爆裂音がして、中にある機械の破片が弾け飛ぶ。オレンジ色の炎が一瞬立ち昇った。

「勇ましいこった。お嬢さんよ。」
 老師は怯むことなく乱馬目掛けて手刀を振り下ろす。と、円形の気が飛び出した。
「おっと!斬気か。」
 乱馬はふいっとそいつを避けた。チッと音がして乱馬の右肩辺りの戦闘服が破ける。
「避けたか。身動きはさすがに軽いのう…。」
「ぬかせっ!」
 今度は乱馬が仕掛けた。
 持っている銃器から弾丸を抜き取ると、そいつを老師目掛けて投げた。
 バアンと音がしてもくもくと立ち込める煙幕。
「煙幕か…。ふん。めくらましをしたつもりじゃろうが、ワシには通用せんわ!」
 老師の斬気が煙幕から勢い良く飛び出して乱馬を狙う。
「へっ!当るかっ!」
 乱馬も予想していたのだろう。それを銃で叩き落す。そして、えいっと一歩踏み出した。

「じいさん、勝負あったな。」

 にやっと笑った。
 老師の背後に回り、咽喉元へ短刀を突き出す。一歩でも動くと咽喉元を掻っ切るぜと言わんばかりだ。
「ふふふ・・ふふふふふ・・ふぉふぉふぉふぉふぉ。」
 老師が笑い出した。
「何だ?じいさん、気でも触れたか?」
 乱馬はしかめっ面で見返した。ぎゅっと短刀を握る手に力を込める。
「覚悟するのは貴様の方じゃよ。お嬢さん。」
 天上からブシュッと鋭気が漏れる。
 老師は乱馬の短刀を薙ぎ払うと、反対に彼女の腕を掴んだ。
「な…?」
 物凄い力だ。とうてい老人の、いや、人間のものではない。
「かかったな、小娘。」

 天井から何やらカプセルがガラガラと下りて来た。
 あかねを捕えているカプセルと同じものである。
 みるみるうちに彼の周りを囲んでしまった。

「何っ?」
 老師と思っていた物体が、プルンと姿を変化させてゆく。何本もの機械の触手が老師と思っていた体の皮膚から飛び出してくる。そしてみるみる乱馬の身体に巻きついていった。
「そいつは、ワシのロボットじゃよ。」
 にゅっと老人が眼前から現われて立った。
 乱馬は捕えられたのである。すぐさま彼の身体に巻きついていた銃器類はそいつの触手に次々と剥ぎ取られてゆく。
「くっ!」
 力を入れてみるが、びくともしない。
「貴様はもう籠の鳥だ。諦めてエレナスさまの血肉となれ。」
 老師がにやりと笑った。
「嫌だと言ったら?」
 乱馬はきっと老師を睨み返した。
「元気の良い子だな…。このままにしておくのが勿体無いような…。」
 不気味な笑みを老師サジェは手向けた。そしてさっと持っていたリモコンのスイッチを押した。
 ゆっくりと降りて来る機械。全てが乱馬に絡みつく触手へと繋がれてゆく。

「何をするつもりだ?」
 乱馬は老師をガラス越しに睨んだ。
「ふふふふ。気が変わった。エレナスではなく、ワシの血肉にしてやろう…。」

「勝手なことを、老師。」
 背後でエレナスが叫んだ。
「その少女は私の肉体に加える約束であったろう?」
「欲をかくな。エレナス。おまえには背後にもう一人の少女が居るではないか。」 
 サジェはあかねの方を見上げた。
「また、新しい獲物を探せばよい。ワシだってたまには生体エネルギーを浴びたいぞ。上物のな。こやつの身体はぴったりだ。」
 老師は着物を剥ぎ取った。中からは人間の肉体とは掛け離れたどす黒い肌が顕になる。思わずごくんと唾を飲む。
 すっと乱馬の前に近づいて老師は言った。
「我等は若い女性の肉体を持って、生体エネルギーに変え、力を得るのじゃ。おまえもイーストエデンのエージェントなら、少しは知識があるであろうがな。おまえたちは十分に若く美しい。我等にそのエネルギーを与え、美しいまま散ってゆけ。さあ、始めるとしようか。美しき生体のエネルギーを我等の元に。エレナス。おまえもカプセルへ己の手足を繋げ。ワシのようにな…。はっはっは。」

 乱馬は動かない身体を精一杯捩じらせて抵抗を試みた。

「無駄じゃよ。諦めてワシの血肉になれ。」
 老師はそう言いながらスイッチを押した。



つづく



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