◇漆黒の天使たち


五、へレーネの魔女


 どのくらい空間を彷徨ったろうか。
 ダークホースは滑るように、土星の小惑星へと吸い込まれて行った。
 なす術もなく、乱馬たちは、じっと宇宙艇が止まるのを豚を収監している船倉で息を潜めて待った。
「そろそろ着陸だな…。」
 ふわっと浮力が上がったのを受けて、乱馬が言った。
 大気圏突入の衝動波もなかった。殆ど影響も受けないほどの小惑星であることは、明らかだった。
 土星には大小合わせて約三十個の衛星が軌道を巡っている。惑星の周りを巡る衛星は、まちまちである。中には数十キロしか半径がない小衛星もある。その中の一つへと、確実に宇宙艇は取り込まれてゆく。
 ズボンのポケットをまさぐると、米粒くらいの機械を取り出した。
(よし、ちゃんと偵察して情報を送れよ。)
 乱馬はそいつをふっと飛ばした。どう見ても豆粒のハエ。どこにでも居るタイプのクロバエだ。昆虫という奴らは、適合力も満点で、どこの惑星系へ行こうとも、ハエやゴキブリだけはわんさと繁殖するのである。だから、ハエ型の偵察機はとても有効であった。
 ハエに向かって意識を集中させる。と、ふっとハエは目の前から消えた。
「念力か…。」
 良牙は乱馬に声をかけた。
「まあな…。超能力にあっては初歩の初歩だけどな。」
 乱馬はにっと笑った。
「まあ、飛ばせるものは飛ばしてデータ―を集積するのも作戦を練るには有効だがな。そうか…。おまえ、ミュータントだったのか。」
「…。まあそんなところになるのかもしれねえけどな。正確にはちょっと違うんだが。」
 要領を得ない答えを返す。良牙にいちいち己の現況を話している暇はない。
 外気温や酸素濃度、有害光線の有無はハエの送り込んでくる情報で十分に事足りるだろう。
 彼は持っているマイクロモニターをオンにした。そして、ぽつっと画面を出す。
「酸素は普通にあるみてえだな。空気コントローラーが回っていやがるみてえだ。だったら、外へ飛び出しても大丈夫か…。よっし、念のため。」
 乱馬はハエから送られてくるデータ―を集積する。良牙も一緒になってモニターを覗き込む。
「なるほどな…。」
「何かわかったのか?」
「ああ、この星の正体も、奴らの目的も、なんとなくな。」
 乱馬はにっと笑った。
「星の正体だあ?」
「ああ。多分ここは土星の衛星の一つだろうよ。」
「んなことはわかっとる。だからここはどこなんだと訊きたいんだ、俺は。」
 ぐいっと良牙が詰め寄った。
「短気だなあ、おめえは。土星にはたくさんの小さな衛星がある。タイタン以外は小さいさ。目的地だったディオーネだって月の三分の一くらいの直径しかねえだろ?土星の衛星の半分は数十キロの直径しかない衛星だ。」
「その中の一つってことくらい、俺にだって推測付くぜ。」
 良牙は睨みながら言った。
「へレーネ。」
「あん?」
「だから、ここは土星衛星へレーネだぜ。十中八九はな。」
「ヘレーネ…。」
「ああ、質量と岩質データー、そしてエウロバの関係からみてな…。」
 乱馬はふふっと笑った。
 赤い星。不気味に漂う小さな星へ近づくと、地表がごおっと音を立てて割れた。その星の地下基地へと吸い込まれてゆく。
「こいつがヘレーネということは…。」
 良牙の問いかけに乱馬はこくんと頷く。
「ああ、火星領事マーキスの第三夫人、エレナス・ジェマーソンの領星だ。」
「何で火星領事の夫人がこんな真似を…。」
「さあな。まだそこまではっきりはしねえが…。いずれにしても、行って確かめるしかねえって訳だ。ヘレーネの魔女…。エレナス・ジェマーソン。確かそんなことを言ってた奴がいるなあ。」
 乱馬はダークアイを光らせて言い返した。
 良牙は背中にぞくっとした戦慄を感じた。旧知ではあるが、乱馬の本性は何も知らない。こいつの奥底にはとんでもない「魔物」が棲んでいるのではないか。そう感じ取ったのだ。
 
 暫くして、微かな衝撃音が響く。どうやら着陸したようだった。
 ダークホースの動きが止まった。カタリとも音がしなくなる。
「着いたか…。」
 乱馬が無機質に言い放った。
「ああ、そうみたいだな。」
 乱馬と良牙は互いを見詰め合った。
「いいか、ぬかるなよ。」
 乱馬はそう言うと、良牙に水を浴びせた。
 みるみるうちに子豚へと変身を遂げる良牙。彼も乱馬と同じ、呪泉の毒水の被害者でもあった。彼が何故、呪泉の水を浴びたかはこの場では省くが、乱馬と同じく、湯と水を媒体にして生体がすげ変わる能力の一つには違いなかった。
「今度はちゃんと人間に戻ったらバトルスーツ装着しろよ。ここへ結えておいてやるからな。裸で戦うなよ。」
 乱馬は黒豚のバンダナに小さなスイッチつきのカプセルを結えた。
 良牙はぷるぷると体の水を振るい落とすと、豚の群れの中に紛れ込んだ。彼と豚たちの違いは、バンダナを見れば一目瞭然ではあった。だが、彼が本当は人間であることなど、誰が予想しえようか。
 乱馬は銃を構えてじっとその場にうずくまった。
 いずれ現れるであろう、バミューダの魔物。その正体を暴き、とどめを刺すそれが彼ら二人に与えられた任務であった。

 着陸して間もなく、ぱっと電気がついた。

「乗組員、出てこい。居るのはわかってるぞ。」

 野太い男性の声だった。
(出て来いっつって出て行くバカはいねえんだよ。)
 乱馬はぎゅっと銃を握り締めた。ここは是が非でも奇襲をかけて、船外へと飛び出さねばなるまい。
 ドカドカと入って来たのは、戦闘服を着込んだ男たちだった。皆一様に銃を構えている。
「シャワールームに居た女は確保した。エウロバからの連絡ではもう一人、女が居る筈だ。探せっ!」
 どこからともなくそう声がした。

(くそ…。あかねは奴らの手に落ちたか。)

「この豚はどうする?」
「いつものように保管庫へ持っていけ。貴重な食料だ。ハルさまもお喜びになろう。」

(やっぱり、ハルの連中と繋がってやがるか。厄介だな。)
 乱馬は飛び出す機会を伺いながら、豚たちの群れの中に身を潜めていた。潜みながらも状況を解析してゆく。勿論、モニターから送られてくるハエのデーターにも着目する。
(一方向にエネルギーが集中してる…。ここがこいつらの本拠地だな。ようし…。)
 乱馬は集約したデーターを脳裏に焼き付ける。それから傍の良牙に言った。
「奴らの本拠地はここから右方向だ。いいか、構わずそっちへむかっておまえは突っ走れ。」
 ブギっと良牙は鼻息を鳴らした。
「じゃあ、行くぜっ!」

 乱馬は豚たちの群れに向かって一発銃をぶっ放した。

「こっちだ。銃声がした。」

 戦闘員たちが銃声を聞いて集まってくる。
 豚たちは乱馬の放った銃声に、興奮状態に陥っていた。暗がりの密室に十日あまりも閉じ込められてきたのだ。彼らのストレスも相当に溜まっている。銃声一つでパニックになるに十分だった。
 不用意に扉を開けた兵士たちに向かって、血走った彼らは一斉に飛び出していった。

「それっ!」
 乱馬もその混乱に乗じて雪崩出す。
「ぐわっ!」
「何だ、こいつらはっ!」
「打てっ!」

 追い詰められ極限状態になった生き物ほど手におえないものはない。
 乱馬は睨んだとおり、易々とそこから外へ抜け出ることが出来た。

「緊急事態発生!緊急事態発生!拿捕艇から侵入者!発見次第、身柄を確保せよ!!」
 地下基地にエマージェンシーが鳴り響く。

「けっ!俺を止められるなんて思うなよ!」

 乱馬は手にしたバズーカー砲へ弾を込めると、一発、ドカンと打ち込んだ。
 彼の狙いは正確だ。弾は大きく弧を描くと右舷前方へと着弾した。激しい爆音が鳴り響く。それも数発だ。打ち込んだ一発に誘発するように連続して爆音が響く。
 彼はゆっくりともう一発弾を込める。それから銃を構えた敵の真ん中へと繰り出した。
「邪魔すんなっ!どけーっ!」
 彼はそう叫ぶと二発目を打ち込んだ。
 今度は前より激しい爆裂音がした。耳をつんざくような激しい音と、地鳴りが連続して起こる。戦闘兵たちは誰も彼を止めることができなかった。そう、易々と彼らの懐へと乱馬を導いてしまったのである。



 彼の目指す前方の奥深く、戦闘兵の一人が息せき切って状況を報告しに雪崩れ込む。
 その報告を聞いた、隊長とおぼしき太っちょの禿中年が傍に佇む女性へと話し掛けた。
「エレナスさま。どうします?」
「ふん…。うろたえるな。どうせ、毒に群がる煩いハエ一匹。我等の敵ではないわ。」
 妖艶な輝きの玉肌を顕にして彼女は叱責する。
「でも…。味方の被害も相当に…。」
「そのくらい骨のある奴の生体エネルギーをわが手にできると思えば、基地の一つや二つ、不意にしても構わぬ。それより、さっき捕えた少女の処置はどうした?」
「はっ。あちらにご用意できてございますが。」
「ふふ。そう。事はどっしりと腰を落ち着けて構えればよいのじゃ。どうら、拝ませてもらおうかのう…。ほっほっほ。」
 女は甲高い声で笑った。
 自動ドアが開いて、次の間が現われた。そこは天上が高く空洞になっており、風がどこからともなく流れてくる。真っ暗な壁の中に、白いガラスケースが浮かんでいた。計器類がたくさん繋がれたその容器の中に一人の女体が浮いている。あかねであった。白い下着だけの姿で培養液の中に浸され、目を閉じたまま浮いていた。

「美しい…。この見事な玉肌。整った顔。溢れる生気。」
「お気に召してございますかな?」
 一人の老人が現われた。エウロバで乱馬たちと遭遇したあのカフェテラスの老人だった。
「今まで取り込んだ女の中では最高の上玉でござりましょう。この老いぼれが直々に見初めたくらいでございますからな。」
「確かに…。この娘なら申し分はない。」
 エレナスはちろっと赤い舌を出した。けばけばしい化粧の下で瞳が妖しく輝きだす。
「この娘と今暴れ回っている娘、二人の生体エネルギーを合わせれば。」
「今より三十歳近くは若返りましょう。いや、この娘たちと同じ年齢になられますことも十分可能でしょうなあ…。いずれも生気に溢れておりまする。そうなれば、マーキス火星領事閣下も火星も…。」
「マーキス閣下の寵愛が私一身に届けば、彼を御しやすくなろうもの。いずれ彼もハルさまに忠誠を誓う。」
「そういうことでございますな。」
「そうなればおぬしのゼナでの地位も安泰。私も若返る。一石二鳥ではないか。」
「いいえ、一石三鳥でございますれば。」
 じいさんはひげを手で揺すりながら答えた。
「三鳥とな?」
「この娘たちはどうやら「イーストエデン」に利用されたようでございまする。」
「何?イーストエデンだと?」
 エレナスの顔が硬直した。
「まさか…。ダークエンジェル…。」
「それはありますまい。まだ経験の浅そうな男がエウロバから一人紛れ込んだだけでございます。今。暴れているのも大方彼の差し金でございましょう。下っ端と言っても一応は「イーストエデン」の手のもの。でも、我等の敵ではございません!」
 じいさんはそう言うと、きっと後方を見詰めた。
「出て来い、イーストエデンの坊や。そこに居ることはわかっているんじゃ。それとも、こちらから丁重に出迎えてあげようかのう…。」

 じいさんの視線の先で黒い塊が蠢いた。



つづく




ヘレーネ(直径約32キロメートル)…地球連邦政府幹部・火星領事マーキスの第三夫人、エレナス・ジェマーソンの領星。衛星のうち、小さなものは個人の領有となっているところも珍しくない。


語呂がいいからへレーネやフィーオーレ使ったようなもの。
惑星の衛星情報は旦那の持ってる理科年表を紐解いて勝手に選定して描いています。勿論、考証はしておりませんのでご了承くださいませ。行った事も見た事もないから、想像だけで書くしかないし、とってもいい加減な創作です。



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