◇漆黒の天使たち


 四、侵入者


 エウロバを飛び立つと、宇宙艇は漆黒の空間をひたすら土星星域へと向かって飛び続ける。

 火星と木星の間には小惑星群がひしめいていて、かしましい空間が横たわっているが、木星から土星の間は比較的大人しい空間が拓けているのである。
 火星、木星間星域には大小五万近くの星屑が横たわっている。昔からこの領域の航行は至難を極めた。乱馬たちの基地がこの惑星群にあるのは、その不便さを逆手に取った選択では有るのだが、宇宙を行き来する運搬船にとって厄介なことは説明するまでもないだろう。
 だが、半世紀ほど前、この空間を横断するシールドトンネルが出来上がった。強力な磁力を利用して、小惑星を寄せ付けないように細工してあった。またトンネル内は磁場影響を受けないように工事してあり、通常の航行には何ら支障はなかった。
 宇宙船体が何艇も行き来できるいわば星間トンネルである。
 
 そんな面倒な空間もないので、比較的運行は楽なのが、木星と土星間であろう。コンピューターの設定さえ間違わなければ、自動操縦に任せきりでも十分に航行ができる。
「さてと、安定水平飛行に入ったぜ。休もうか。」
 乱馬は計器類を見渡してあかねに言った。
「ふう…。カプセルで十日以上眠るのかあ…。長いわね。」
「仕方ねえだろ?ヒュンって飛んでくわけにはいかねえんだからよう。」
「超高速エンジンを使えば二三日もあれば到着するのにね。」
「あのなあ、これは戦闘機じゃなくて一般搬送艇なんだぜ。そんなエンジン使ったら途端怪しまれるだろが…。」
 やれやれと溜息を吐いた。実際のところ、乱馬もこれからの水平飛空にはうんざりしていたが、任務を正確に履行するためには、外れた行動は絶対に不可だ。
 この時代の運行状況では、木星と土星は約二週間の飛空が必要であった。戦闘機や戦艦ならもっと早く飛べる。勿論、ダークホース号も戦艦並みの装備は備えているので、超高速飛空が可能では有ったが、かといってその機能を使うわけにもいかないのだ。

「諦めて寝ろ。」
 そう言うとさっさと睡眠カプセルに潜り込む。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だよ。十日後の六時に起床時間を合わせておきな。そのくらいでいいだろう。その後の一日間は交代で番だ。」
「了解!」

 こうして瞬く間に十日間が過ぎる。

 十日経った朝のこと。乱馬はあかねより三時間ばかり早くに起き上がっていた。
 彼の起床時間は午前三時に設定されていてのだ。
「ふう…。こんなもんかな。さてと…。確認に行くか。」
 戦闘服を中に着込み、レーザー砲を腰に結えた。その上から運送会社の制服を着込む。いつもの任務パターンだ。たっぷりと寝た後なので、頭は冴えきっている。
 念入りに準備して、そっと操舵室から抜け出す。
 宇宙船内は軽いエンジン音が鳴り響くだけで、不気味なほど静まり返る。安定飛行は続いていた。
 計器類に異常がないことを確かめると、彼はサプリメントを水と一緒に流し込んだ。
 カプセル内で睡眠を取っている間は、低温に体温が調整されていて、生体機能は停止している。そう、いわば「冬眠」の状態に維持されるのだ。時々、栄養の補給を自動的に施されるが、流動食以外は口にしないのが普通だ。サプリメントの内服で、満足感も得られるように、この時代の食事は工夫もなされている。
「さてと…。」
 彼は船内を確認しながらゆっくりと歩いてゆく。そして、豚たちが大量に収監されている荷物室へと足を踏み入れた。
「奴さん、起きていやがるかな。」
 にっと笑って銃を構えた。
 ぶひぶひとかしましい、豚小屋の中で、黒いそいつが一瞬蠢いた。
「そこかっ!」
 乱馬はだっと銃を構えた。
 ピン!パシュン!
 黒い影は飛び出してきて、壁や床、天井を這い上がる。
「へっ!威勢がいじゃねえか。たっぷりといたぶってやろうか?」
 乱馬は豚たちのひしめく間を縫って、動き回るそいつに狙いを定めた。
「そらっ!浴びやがれっ!」 
 手にしていた銃からは、弾は飛び出さず、代わりに湯煙があがる。

「あちっ!あちちちっ!こんのおっ!熱いじゃねえか。この野郎っ!」
 男の声がした。さっきまで蠢いていた小さな塊は、瞬時に青年の姿へと立ち戻る。乱馬と年頃も背格好も似たような青年だった。頭に黄色いバンダナを巻いている。彼もまた、はっきりしたアジアンアイの持ち主だった。
「やっぱり、いやがったか。良牙っ!」
 乱馬はにっと笑ってそいつを睨みつけた。

「たく。乱暴な野郎だぜ。熱湯を浴びせかけんなよ。玉肌が火傷しちまったらどうしてくれる?」
 男は上半身裸のままで湯を浴びた肌をふうふうと口で冷やしている。
「けっ!誰の差し金かしらねえが…。忍んできやがって。うちのおやっさんか?それとも別組織からの依頼か任務か?良牙よ。」
「ふん。答える義務はねえな。どっちにしたって同じ組織とはいえ、各人の任務は機密事項だ。違うか?」
「理屈だけは一人前だな。」
 乱馬は銃をおさめた。これ以上攻撃を加える意思は持ち合わせては居ない。
「何言ってやがる。おめえたちが寝ている間はずっと俺が、この船の運行を見ていてやったっていうのによ。」
「豚のまんまでか?」
 乱馬は笑い出した。
「うるせー。人間タイプに変身するおまえと違って、俺の変身は黒子豚だよ、どうせな。」
「すねるなよ。」
 どうやら乱馬は彼とは旧知、それも随分と親しい間柄らしい。

 と、後ろで殺気がした。

「あぶねーっ!伏せろっ!」
 乱馬の声と共に、銃を構えた少女が部屋へ入って来た。あかねだった。
「わたっ!こんなところで打つなっ!豚が興奮しやがるぜっ!」
 乱馬は怒鳴る。
「侵入者よ、乱馬。早いこと捕まえちゃいなさいよ。」
 あかねががなる。どうやら良牙のことを言っているようだ。
「違うっ!こいつは侵入者じゃねえぞ。あかね。」
 乱馬は叫んだ。
「え?でも…。」
「違う違う。俺は敵じゃねえ。」
 良牙もホールドアウトしながら叫ぶ。
「ほら、こんな格好で、何ができるっていうんだよ。」
 にたにた笑いながら乱馬が言う。
「きゃっ!いやん!!」
 あかねは思い切り真っ赤になって叫んだ。
 そう。豚から変化を解いた良牙は、身に何もまとっていなかったのである。
「くおらっ!乱馬っ!レディーの前だろ。気を遣いやがれっ!!」
 大事な部分を抑えながら良牙が叫んだ。




「もおっ!んとにあんたってデリカシーがないんだからあっ!!」
 マグカップをドンと置きながらあかねが叫んだ。
「わ、悪かったな…。」
 真っ赤になって良牙が俯いた。
「ま、人畜無害な男だからな。こいつは。」
 乱馬はけたけたと笑った。
「で、あんたたちって知り合いなの?」
 当然次に来る疑問を投げかけた。
「ああ、こいつは良牙だ。同じイーストエデンのエージェントさ。俺と同じ訓練所に居たんだ。云わば同期の桜って奴だな。」
「へえ…。知らなかったわ。でも、何であなた、素っ裸でウロウロしてたのよ…。」

「あわわ…。その…。」

「たく、こいつドジでさあ。風呂に入ってて慌てて飛び出してきたんだよ。荷物室の隣りに風呂場があるだろう?変な音がしたんで俺が降りていったら、鉢合わせたって訳。」
 くすくすと乱馬は笑いながらウソの説明をした。彼が同じ変身タイプのエージェントであることは誤魔化していたほうがいいだろうという彼なりの判断だった。
「ふうん。暢気なのねえ…。」
「あ、ああ、まあな。えへへへへ…。」
 乱馬をジロッと睨みつけながら、良牙はへらへら笑って調子をあわせた。
「にしても、おまえがエウロバから乗り込んでくるとは思わなかったぜ。」
「うるせー。俺だって任務じゃなきゃ、おまえなんかと合流はしないぜ。」

「あんたたちって仲良しなのね。」

 あかねがコロコロと笑った。

「ごゆっくり。あたし、一風呂浴びてくるわ。たまには身体を綺麗にしておかないとね。あと一日で目的地のディオーネに到着するでしょう?ごゆっくり、旧恩を温めていなさいな。時間はまだたっぷりあるんだし。」

 そう言うとあかねはパタンと扉を閉じた。

「可愛い子だなあ…。あかねさんって言ったっけ。」
 良牙は溜息を吐いた。
「あかねばダメだぜ。あれでいて、気も強いしな。」
 乱馬は牽制をかける。
「何だ?その言い方は。俺たちにだって自由恋愛の権利はある。あんな子が嫁にきてくれたら、人生薔薇色だろうなあ…。」
 乱馬はマグカップの液体を咽喉に押し込みながら付け加えた。
「生憎、あかねは俺の許婚なんでね。」
 無表情で投げつける。
「あん?いいなずけだああああっ?」
 驚いたのは良牙だろう。
「貴様あっ!いつあんなに可愛い子を垂らしこんだんだ?ええっ?」
 襟首を持って掴みかかる。
「その言い方はねえだろが。俺にだって色々事情はあるんでいっ!垂らしこんだわけじゃねえっ!親が決めた許婚だよ。あいつは。」
 ギリギリと締め上げてくる良牙を牽制しながら乱馬は言い放つ。
「じゃあ、愛情のない許婚って奴なのかよう…。」
「あんなあ、その短絡的な言い方はやめてくれっ!」
 凡そあかねが居たら卒倒しそうな会話ではある。
「じゃあ、愛し合っているとか、そういう仲なのかよう…。」
「おめえの知ったこっちゃねえだろ。」
「ああ、知ったこっちゃねえ。おめえの許婚だろうとそんなこともな。」
 にやっと良牙が笑った。
「おまえ…。何だ、その笑いは…。」
「だから、関係なく、あかねさんを口説かせてもらうってことだよ。」
「な゛っ!!」
「そろそろ、相棒が欲しいって思ってたんだ。それがカワイ子ちゃんならもっと任務も華やかになるじゃねえか!」
「いい加減にしろっ!そもそも、あかねと俺はなあっ!」

 乱馬のテンションが上がったときだった。
 ガクンと宇宙艇に震動が伝わった。
 非常ブザーが一斉に鳴り出す。
「エマージェンシー・ハッセイ、エマージェンシー・ハッセイ!キンキュウテイシ!」
 
「何だ?何が起こった?」
 良牙が叫ぶ。
 軽やかにしていたエンジン音が急に唸り始めた。宇宙艇は大きく揺れながら急停止に入った。
 横揺れと縦揺れが同時に地震のように起こる。
 コントロールを失った宇宙艇は停止すると、星間を漂い始めるだろう。
 乱馬は操舵装置駆け寄った。
「現在地確認!」
「フメイ…。」
「第二エンジンは?」
「オウトウナシ。」
「何故だ?手動操舵に切り替え。」
「オウトウナシ。」
「畜生!何が起こりやがった…。船内に異常はねえか?船内レーダー…。」
「ここから異常波が出てるぜ。」
 良牙がモニターを見ながら言った。
「ここはシャワールーム!しまった!あかねがあぶねえっ!」
「何だって?」
 良牙が蒼白になった乱馬を見返した。
「ちっ!油断してたぜ…。奴等、船より先に、あかねを襲いやがったか。」
「どういうことだ?」
「バミューダ―の魔物だよ…。奴が現れやがったんだ。」

 と艇内の電源が一斉に落ちた。すぐさま非常灯が点灯する。暗闇に浮かぶのはモニターの前方画面。土星の輪が美しく瞬いている。

「畜生!異常波かあ。大方あのムーンストーンから波動が出てるんだろうな…。」

 艇内のエンジン音が完全に消えていた。だが、何か強い力に引っ張られるように、ダークホースは動いている。それは気配でわかった。

「ちっ!最悪だぜ。」
 乱馬はどさっと操縦席に腰を沈めた。
 こうなってしまった以上、ジタバタしても始まらない。瞬時に悟った。
「今回は完全にやられちまったか。」
 乱馬はそううそぶいた。
「なんだとおっ?」
 乗り出す良牙に乱馬は静かに言った。
「見な。このモニターと方向画面を。」
 乱馬は唯一生きているレーダーへ目を転じた。
「これは…。」
「ああ、この衛星に引っ張られている。俺たちは何かの強い力に拿捕されちまったわけだ。救難信号も出す暇もなくな。鮮やかな手口じゃねえか。」
 ふふっと乱馬は笑った。
「おまえ、余裕だな。」
 良牙が皮肉たっぷりに言い放つ。
「元々は相手の懐へ飛び込むつもりだったんだ。あかねと引き離された分、不利になっちまったがな…。」
 手を顔の前で軽く組みながら肘を操舵席付いた。
「予定通りだったというわけか。で、これからどうするんだ?」
「ジタバタしても始まらねえしな…。行き着くところまで行けばいいさ。」
「暢気だなあ、相変らず。」
「俺はジタバタしない主義なんでね。それよか、あの星。」
 乱馬はモニターに映し出された衛星を指差した。そこに映るのは火星のような赤い不気味な小さな星だ。
「あれがどうした?」
「多分、あの星に下ろされるだろうな…。」
「どうしてわかる?」
「何か陰湿な気配を感じるぜ。ビンビンにな…。」
「第六感か?」
「ああ。俺には分るぜ。あそこに魔物が居るってな。へっ!おもしれえ。」
 乱馬はすっくと立ち上がった。そして、身支度を始めた。武器で身体を固めてゆく。
「おまえも来るか?」
 良牙を流し見た。
「当たり前だ。あかねさんが危ないとなれば、助けに行くべきだろう。」
「じゃあ、支度しな。」
 乱馬はにっと笑った。
「おまえこそ。いいのか?そのままの姿で。」
「ああ、まだいい…。変身を解くのは最後だ…。」
 静かに乱馬は言い放った。彼の野性の勘が教えてくれている。まだ男に戻るなと。
「その格好で…。足手纏いになるなよ。」
 良牙は吐き捨てるように言い放った。
「誰に向かって言ってやがる!」
 静かに乱馬は立ち上がった。

「ターゲットはあの星だ。ぬかるなよ!」
「おう!」

 二人はじっと画面を薮睨みした。
 待ち構える敵とは一体…。
(待ってろ、あかね。絶対に俺が助けてやるからな!)
 乱馬はぎゅっと拳を握り締めた。
 ゆっくりと動いてゆく宇宙艇の窓の外には不気味な赤い小さな星が血の色に光り輝いていた。



つづく




 良牙ファンの皆さますいません(汗
 何だか書いているうちに、この話に当てるらんま的キャラは良牙くんしか居ないと思いまして…。
 元々は私のオリジナルキャラでしたので、全然、良牙くんとは性格も設定も違います。 


土星の衛星
タイタン(5150KM)…土星星域一番の開拓星。
ディオーネ(1120KM)…第二目的地。開発途中の衛星

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