◇漆黒の天使たち


 三、TINY PIG OPERATION


「エウロバセイイキ 二 ハイリマス。ノリクミイン ハ タイキケントツニュウ ニ ソナエタシ。」
 システムの機械音声が目的地への飛来を告げる。
「大気圏シールド、ロックオン。あかね、いいな。」
 乱馬はあかねに指示する。
「ええ、任せておいて。」
 モニター画面を見ながらあかねが答える。
 大気圏に突入する瞬間は、いつも緊張をする。これに失敗すると宇宙艇は粉々に壊れ、塵となって船ごと燃え尽きるからである。
 数分間の緊張が続く。船はゴゴゴとうねり音を上げて猛スピードで落下してゆく。重力がかかり、二人とも操縦席に叩きつけられるほどの衝撃を感じていた。
 ふわっといきなり重い空気が軽くなる。

「ロックカイジョ。コレカラ エウロバカンセイ ノ ユウドウハ ニ シタガイマス。」
 システムが大気圏突入成功を告げる。

「ふう…。第一段階は終わりか。えっと、どこの港に入るんだ?」
「待って、誘導波を読むわ。…。右舷下方四十度。第五港区ね。」
「まあいいや、さっさとやってくれ。」
「了解…。」
「この後のスケジュールは?」
「えっと、依頼品を受け取って、すぐさまそこから飛び立つわ。寄港予定は三時間ってところかしら。」
「うへ…。強行軍だなあ。休眠するヒマもないってか。」
「あんたねえ…。さっき、睡眠から寝覚めたところでしょうが。本当に良く寝るんだから。」
 あかねは呆れたと云わんばかりに顔を向けた。
「へいへい、任務中だからな。ま、いいや。寄港している間に美味いもんでも食いに行くかあ。」
「たく…。睡眠がダメなら食欲を満たすのね。あんたは。」
「仕方ねえだろ。性欲の方は満たせねえんだから。」
「バカっ!」
「っと…。画面ちゃんとコントロールに切り替えておけよ。」
 乱馬はどっかとパイロット席に腰を深く下ろした。
「一応、無事寄港の報告を打電しておくわ。」
 あかねはキーボードを広げて、天道運送会社に向けてチェックメールを転送した。
「TPO第一段階終了。第二段階へ移る。っと。」
「TPO?なんだそりゃあ。」

 乱馬はあかねを見返した。
「あら、作戦名よ。」
「んな作戦名聞いてねえぞ。」
「あたしが任務を受けたときに聞いた作戦名だけど。」
「その「TPO」って何の略なんだよ。」
「「TINY PIG OPERATION」えっと「可愛い仔豚ちゃん作戦」よ。」
「可愛い仔豚ちゃん作戦だあ?」
 ずるっと椅子から転げ落ちそうになって乱馬は問い返した。
「ええ。だって、これからエウロバの特産の一つ、家畜の豚を積み込んでディオーネまで飛ぶんでしょう?だから「可愛い仔豚ちゃん作戦」なんですって。」
 あかねが悪びれずに答えた。
「何だそりゃあ…。たく、どういうネーミングセンスしてんだよ。」
「あら、文句あるの?」
「文句って…。」
「かすみお姉ちゃんがつけたんだから。変更したら怒るわよう…。」
「かすみさんのネーミングかよ…。」
 乱馬は黙ってしまった。
 かすみは天道運送会社の早雲社長の一番上の娘である。この穏和な長姉には何故か誰も逆らおうとはしないのだ。のほほん、のほほんとした笑顔の下に、実は物凄い素顔が隠されているのではないかと、乱馬も一目置いていた。
「仕方ねえか…。」
 ふうっと溜息を深く吐く。
「で、どんくらいの豚を乗せるんだ?」
「えっと、伝票には二万頭ってあるわ。」
「黒豚を二万頭ねえ…。黒豚…。まさか奴もこの作戦に参加するんじゃねーだろうな。」
 乱馬は苦虫を潰したような表情を一瞬見せた。黒豚と聞いて、気になる男をふと思い出したからだ。
「はあ?」
「あ、いやこっちの話だ。」

「ゲートイン完了。この貨物便の乗組員は必要手続きを所定で行って下さい。」
 女性の声がして乱馬の思考はそこで止められた。

「行くぜ。いつものようにちゃんと化けろよ。」
 乱馬は颯爽と立ち上がると、運送会社の作業上着を羽織った。
 これから荷物を依頼主から貰い受ける。そして、それを積み込んで目的地へと飛ばねばならない。円滑にことを進めなければ怪しまれるのだ。

 乱馬は宇宙艇から降り立つと、荷受の事務所へと足を運んだ。


「黒豚二万頭。確かに土星衛星ディオーネへお届けします。」
 乱馬は女性言葉で事務員と応対する。
「ああ、しっかりとやってくれたまえ。でも…。」
 荷主は眼鏡の淵を右手で持ちながら、しかめっ面を乱馬たちに向けた。
「おまえさんたちみたいな、若い娘っ子で大丈夫なのかねえ…。」
 心配げに言葉を掛けた。
「あら、あたくしたち、くれでも滞空時間三万地球時間の中堅パイロットですのよ。」
 乱馬はすらりと言ってのけた。
「その間、無事故無違反か。ま、女性とはいえパイロットとしては申し分ないが…。」
「何しろ、昨今、「バミューダーの魔物」とやらが巣食っていて物騒な星域を飛んでいただかなければなりますまいからのう、ほっほっほ。」
 後ろから声がした。振り向くと一人の老人がこちらを見詰めていた。目は皺の中にぽつんと光り、白いあごひげがふさふさと口元を覆い隠している。
「たく、あの不可解な遭難事件続きでこっちは商売あがったりだからなあ…。」
 荷主はふうっと溜息を吐く。
「おじさんの荷物も被害にあったの?」
 乱馬はすかさず訊いた。
「ああ、このまえ食用牛をごっそりとな。」
「へえ…。で、パイロットは?」
「忽然と姿を消したままだよ。船の残骸だけが後で見つかったが中味はもぬけの殻だったさ。畜生。どこのどいつなんだ?海賊まがいのことしやがって。」
「もぬけの殻かあ。襲われた傷かなんかあったのかしらね。」
 あかねが口を挟んだ。乱馬は目線でこれ以上突っ込むなという合図を送る。あまり根掘り葉掘り訊くのは怪しまれてしまう。
「さてね…。俺は運送業者じゃねえからな。攻撃されたかどうかはわからないなあ…。その辺りは宇宙パトロールの連中が情報を牛耳ってるんじゃねえか?…で、やっぱ気になるか?お嬢さん方よ。」
「ええ、まあね。運送艇が襲われてるから他人事じゃないわね。でも、必ず襲われるって決まったわけでもないし。」
 あかねはにっこりと微笑んだ。
「そらまあそうだ。ここんところ、被害も出てないようだしな。今なら大丈夫だろ。」
 何を持ってそう言えるのかは何の保障もないが、荷主はそういうと、ほらと伝票を差し出した。
「今回はお宅の運送業の買取で事を運んでくれるから、おれんちは要らぬ心配はないからな。まあ、せいぜい襲われないように祈っててやるよ。グッドラック!お嬢ちゃんたち。」
 
 荷受の事務所から出ると、乱馬はあかねを誘って、パイロットたちの休息場になっているカフェテリアへと向かった。
「出航前に腹ごなししておかねえとな。ずっと、サプリメントばっかじゃあ飽きてくるしよ。たまには固形物も食しておかねえとな。」
 いかにも乱馬らしい言葉である。
 宇宙へ寄港する際の楽しみは、やはりその土地の名物料理に舌鼓を打つことだ。
「食いしん坊なのね。乱馬は。」
 あかねはにこっと笑いながら彼を見返した。女の姿をしているとはいえ、元は健康な大和男児。生気に満ち溢れている。
「勿論、乱馬のおごりね。」
「こいつ、足元見やがって。」
「いいじゃん。あたし、まだイオの件、許した訳じゃないわよ。これで帳消しってことにしておいてあげるわ。」
「ちえっ!執念深い奴だなあ。」
「ねえねえ。あそこのカフェにしましょうよ。ちょっといい雰囲気じゃない。」
 見てくれなどどうでも良く、食べられたらいいという乱馬とは違って、あかねは雰囲気で店を選んだ。その辺りは女の子といったところだろうか。
「たまにはいいでしょ?」
「あのなあ…。デートじゃねえんだぞ。たく…。」
「いいからいいから。」
 あかねに腕をつかまれて引っ張っていかれる。
 中は思ったよりも広く、食事はセルフサービスになっていた。
「前菜にスープに、メインディッシュにそれから、珈琲にデザート。」
「うへ、おまえ、そんなに食う気かよ。」
「あら、食べないと宇宙航行はやってけないって、いつもあんたが言ってるじゃない。」
「へいへい、好きなの選びなよ。厳禁な奴だなあ。」
 女の形はしているものの、心は男だ。乱馬はそわそわしているあかねを苦笑しながらも、心の中では少し浮き足立っている己を見知っていた。
(任務履行中に不謹慎かな。でも、まあいいや。自然体に振舞っていた方が、敵の目も霍乱しやすいだろうし…。)
 周りの気配を伺うことも忘れはしない。
 カフェテラスの窓越しに、美しい貴婦人がたくさんの護衛管を連れてしゃなりしゃなりと歩いてゆくのが見えた。中世ルネッサンス風の腰の高いドレスをまとっている。この惑星の中世欧州風な建物にマッチして人目を引く。
「綺麗ねえ…。」
 あかねは女の子らしく、溜息を吐きながら窓の外を見た。
「はん…。ああいう鼻持ちならねえ金持ちっていうのはよ、腹の中はどす黒いもんだぜ。」
 興味はないよと言わんげに乱馬はそれに答えた。
「もお、あんたは…。浪漫の欠片もないんだから。」
「ぬかせ!いいんだよ。」
「連邦の領事か何かの奥方さまかしらねえ。」
「さあな。」
 
「火星領事のお妾さまじゃよ。」
 背後で声がした。
「誰だ?」
 きっと厳しい顔をして乱馬は振り返る。と、さっきの荷受事務所に居た老人がそこに立っていた。
「何だ…。さっきのじいさんかよ。驚いちまったぜ。」
 乱馬は手に仕掛けたビーム砲から手をゆっくりと離した。じいさんからは死角になっていて銃の存在には気が付かれなかったろう。
「さっきはどうも…。」
 あかねがぺこんと頭を下げる。乱馬もじいさんを流し見た。
「あの方は、火星領事マーキスさまの第三夫人でな。エレナス・ジェマーソン、別名をエレガント・マーズというんじゃよ。」
「どっかで訊いたことのある名前だなあ…。」
「あたし知ってるわ。宇宙雑誌で紹介されてたことがあるもの。美貌のエレガント・マーズって。年齢は不詳ってことになってるけど、半世紀近くの年になるのに、一向にお肌が衰えない美貌で有名なのよ。相当エステティックに力を入れてるんでしょうねえ…。」
「ふうん…。エレガント・マーズねえ。
 じいさんは隣のカウンター席に就いて続けた。
「火星領事って言えば、連邦政府の高官じゃからな。夫人もたくさん居ると訊いたぞよ。その中でもエレナス夫人は美の極致に居られる方じゃからのう…。」
「…やけに詳しいんだな。じいさん。」
 乱馬はじっと老人を見入った。
「なあに、この星の人間なら誰でも彼女のことは知っておるわい。エウロバは彼女の出身地じゃからなあ。大方、里へでも帰っておいでだったんじゃろうよ。お忍びでな。」
「ふうん…。」
 あかねは行ってしまった一行を見送って溜息を吐く。
「あんたたちはこれから飛ぶのかい?」
 じいさんは話題を転じた。
「ああ、あと小一時間で、準備が整うからな。」
 乱馬はあたり障りない物言いで答えた。
「滞空時間三万時間と言っていたなあ、お嬢さんたちは。」
「まあね…。でも、殆どは睡眠カプセルの中だから、そう偉そうなことは言えねーがな。」
 食後のデザートのケーキを頬張りながら乱馬が答えた。
「よく食べなさるなあ…。ダイエットはしないのかね?」
「興味ないな…。」
 乱馬は無味乾燥に答えた。
「そうかのう…。ワシの孫などは何キロ太っただのやれカロリーがどうだのと食った後で大騒ぎするがのう…。」
「爺さん孫娘が居るのか?」
「まあな。」
「宇宙に出ればおなかがすくからな。ちゃんと食べられるときに食べておかないと。だってそうだろ?食は人間の営みの基本だしな。」
「ほお…。若い娘さんにしては面白いことを言いなさるな。それに言葉も男勝りだ。」
 元々男なのだから、多少言葉遣いが荒いのも当たり前なのだが。
「こういう仕事を女だてらに長く続けようって思ってたら、ある程度男ぽくならねえとやってけねえこともあるからな。」
「そういうもんかいのう…。」
「そういうもんだよ。なあ、あかね。」
 乱馬は相棒へ同意を求める。
「乱馬は特別なような気がするけど…。まあ、そうね。宇宙を飛んでるときは自分の性別なんて意識もしたことがないわ。」
 正直な胸の内だろう。
「ますますもって気にったわい。」
 老人は皺だらけの顔をほころばせて笑った。
「どうれ…。宇宙を飛ぶお守りをあげようかのう。」
 そう言いながら懐をごそごそやった。
「ほうら…。これはムーンストーンだよ。」
 そう言って掌から小さな乳白色の石を差し出した。
「ムーンストーン?」
「ああそうだよ、月の石だ。」
「月ってティラ(地球)の衛星のか?」
「そうじゃ。我等人類の母星をワシらこのエウロバのパイロットは昔からこの石を航飛行のお守りとして懐に入れて持ち歩いておるんじゃよ。ほっほっほ。」
「それっておじいさんの大切なお守りなんでしょ?そんなの頂くわけには…。」
「いいんじゃよ。もうこんな老いぼれには宇宙は遠い空じゃ。だから、おまえさんのような若い物に後を受けてもらえた方が、この石も喜ぶさ。」
 あかねは乱馬を振り返った。
「別にいいんじゃねえのか。俺には興味ねえからおまえが貰っときなよ。」
 乱馬はあっさりと承諾した。
「じゃあ…。あたしがおじさんの代わりにそのムーンストーン。」
「おお、持ってくれるかのう。この石はきっとおまえさんを幸せに導いてくれるじゃろうよ。」
 あかねはじいさんから石を貰い受けると、そっとポケットに入れた。

「さて、そろそろ時間だな。行くぜ。」
 乱馬が先に立つ。あかねもそれに続いた。
「この先の航海に幸多かれ。グッドラックじゃ。娘さん方。」
 じいさんはそう言うと手を振った。
「ありがとう、お爺さん。」
 あかねはにっこりと微笑み返した。

 彼らがドアを出て行ってしまうと、爺さんはゆっくりと頼んだミルクティーへと手を伸ばした。そしてそれを一気に飲み干すと独りごとのように呟いた。
「さてと…。次のターゲットも決まったし…。ふふふ。細工は隆々じゃ。」
 そう言うと、持っていたリモコンのスイッチを押した。



「おい、さっきの石。」
 乱馬は何かをあかねに言いかけた。
「ムーンストーンがどうかしたの?」
 あかねは丸い目を瞬かせて乱馬を見返した。
「いや…。何でもねえ。」
「変な乱馬…。」
 あかねは不思議そうに見返した。
 乱馬は苦虫を潰したように渋い顔をしたが、あかねにはわからないように、また元の顔へと戻していた。そう、彼の野性の勘が何か警鐘を鳴らしたのである。
(あの石…。それにあのじじい。孫が居ると言いやがったのに、何故石をあかねに託しやがった…。何か企んでいやがる。そう思った方が自然だな。)
 ダークホース号へと向かいながら黙って歩き続ける。
(ま、いいか。どっちにしても、目をつけられた方がいいってもんだ。あちらから寄ってきてくれるんだからな。)
 独りでに笑みが零れる。
「乱馬、ねえ乱馬ったら。」
 あかねの呼び声も聞こえなかったのだ。
「あん?」
「もお、ちゃんと任務を履行してよ。積荷の確認。」
「ああ、そうだな。」
 彼らは船倉へと向かって、最終チェックをした。
 中身は豚だらけ。
「うへ…。これだけ生きた豚が居ると壮絶だなあ…。」
 変に感心してみる。
「皆食料にされるのね…。ちょっと気の毒だな。」
 乱馬は辺りを見回した。と、一匹の黒豚が目に入った。首には変なバンダナを巻いている。
(やっぱり、いやがったか。)
 鋭い目をそちらへと落とす。豚は心なしか乱馬を睨み返して、にっと笑ったように思えた。
「TINY PIG OPERATION か…。なるほどな。かすみさんの差し金か。それとも、おやっさんの…。」
 乱馬はふっと独りごちた。
「何?」
 急に話し掛ける乱馬にあかねは小首を傾げて振り返った。
「いや、面白くなってきやがったなと思ってな。さあ。あかね。行くぜ。」
「もお、何よ、さっきから。訳の分からないことばっか。」
「いいから、時間だ。目的地は土星衛星ディオーネだ。」
 そう言いながら船倉の電気のスイッチを切った。後ろ手に黒仔豚に向かって手を振るのを忘れずにだ。まるでその仔豚に何か合図をしているようにだ。

 宇宙艇ダークホース号は予定通り、木星衛星エウロバを飛び立った。目的地は土星衛星ディオ―ネ。いや、バミューダ―の魔海域、魔物の棲み家。
 本当の任務がこれから始まろうとしていた。



つづく



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