◇ダークエンジェル

イオ編

 荒野の果てに太陽が輝き始める。その反対側に遥かな母惑星が赤い光を称えて輝いている。
 ここは、木星の衛星イオ。
 まだ開発途上の荒れた入植地だ。さっきから俺の部隊は束の間の休息に入っている。俺は地球連邦軍の一兵卒。一応は一つの部隊を指揮する小隊長だ。場末の星に放り込まれた末端の部隊。
 だが、ここへ赴任してきて、一大修羅場を迎えていることには変わりがない。
 二十一世紀末、人間は宇宙を手に入れた。
 それからこぞって太陽系の星々に開発の手を伸ばした。手始めに月。そして火星、木星、土星。開発の手は様々に伸びる。住めそうな環境の星に手が入れられてきた。
 愚かな人間は、星間の領有権を巡って、これまでも戦争や紛争が繰り返されてきた。二十四世紀になった現在も人間の愚かしさの本質は、古代と全く変わっていないのかもしれない。
 中央政府である地球連邦。
 母星である地球を御している一大勢力だ。
 だが、彼らを良しとしない連中が徒党を組み、方々の宙でドンパチをやらかしている。地球連邦から見れば、奴等は不穏分子。ただのテロリストと言うわけだ。
 そんなことは俺にはどうでもいい。
 普通に生きて普通に飯が食えれば良いと大多数と同じように思っている。イデオロギーなどにはとんと興味もない。一応、連邦の軍人が飯の種だから上官の命令に従うのみ。
 今回も、地球連邦と直結しているイオの母惑星、木星連邦からの指示で軍を展開している。
 はやったバカな連中が、血迷って、つい三日ほど前に、イオ開発団の基地を占拠しやがった。中には女子供を含む千人ほどの開発団員が人質にされているという。
 大方、連邦政府を良しとしない革命軍の連中だろう。
 奴らは己が思想のためには犠牲も厭わない集団だ。噂によると何やら怪しげな宗教団体が中核にあるという。しかし、少数派であることは変えられない事実だ。他にも不穏分子はたくさん居るが、今回のテロもこいつらが裏で糸を引いていることだけは間違いない。
 地球連邦政府の高官にとっては、やっと軌道に乗り出した木星の衛星開発の最先端にある、この基地を易々手放すわけにはいかない。面子が潰れてしまうからだ。だから、俺たち木星星域に展開していた一師団を送り込んだ。
 だが、あまり母惑星を手薄にもできないらしい。
 不穏分子たちは、いつでも政府の転覆を企てている。同時進行のテロだって充分考えられるからだ。

 さっき、俺より年端もいかない上官が小隊に命令を下していった。ちょっと鼻持ちならないキザな野郎だ。俺はあんまり好かないね。そいつが苛々しながらこう言った。
 これ以上解決を後には延ばせない。だから、「イーストエデン」に打開を頼んだと。歯ぎしりしながら言いやがった。
 イーストエデン。
 そう、手っ取り早く言えば特殊部隊だ。
 一切は謎に包まれた連中だ。退役軍人も居れば、生え抜きの連中もいる。一種の愚連隊。
 こんなテロの現場では彼らの活躍は必要不可欠になっている。戒律でがんじがらめの俺たち一般の軍人よりも、もっと自由なプロフェッショナル意識に徹している。文句なしに強く、命令を強健に履行する。軍事力を牛耳る技術力も一皮剥けている。
 連邦軍の高官連中にとったら、目の上のタンコブみたいな集団だという噂もある。
 中でもダークエンジェルと呼ばれる凄腕がこの作戦に加わるというのである。さっき、上官が歯ぎしりしながら吐き捨てるように言ってやがった。
 俺は飛び上がったね。
 ダークエンジェル。全て謎に包まれた奴だ。男なのか女なのかもはっきりしない。
 わかっているのはアジアンアイズ、そう、ダークグレイの瞳をしているということだけ。噂じゃあ、髪は長いという。奴に依頼された厄介事はきれいさっぱりと片付くという。伝説のエージェントだ。
 奴の凄腕を目の前で見られるかもしれねえんだ。
 そりゃあわくわくしてきたさ。

 奴が動き出すまで、俺たちは小休止を言いつかった。

 存分に休憩しておけと俺も部下たちに言い放った。
 こういう場で一番厄介なのは、秩序を乱すこと。
 俺もそれは心得ているので、テロリストたちが立て篭もっている正面の建物を見据えながら、じっと動かないで陣地にたむろって時間を潰しているというわけだ。

 と、俺の前を一人の青年が悠々と横切りやがった。

「おい!」

 俺は思わずそいつを呼び止めた。

 年代物のバズーカ砲を抱えたそいつは、俺の声にふと足を止めた。
 見たことのない面(つら)だ。
 作戦の遂行のために、方々から俺たち軍関係者だけではなく、友軍パトロール隊の連中や傭兵たちが集められている。
 着ている服は正規軍の軍服ではないから、大方、掻き集められたさすらいの傭兵といったところだろう。

 そいつは何だよと云わんばかりにこっちへ目を向けた。
 鍛え込まれた筋肉質な体には不釣合いなおさげをなびかせている。何よりも目を引いたのは、頭に巻いたバンダナから覗く、可愛らしい少女のマスコット人形。
 だが、向けられた瞳に俺は思わず目を逸らしたくなった。
 鋭い。
 その輝きから、何度も死線を乗り越えてきた男漢の気迫が感じ取れた。その死線も生半可なものではない。
 背中にぞくっと戦慄を感じながらも、呼び止めてしまった以上、何か話さなければならないだろう。

「おやっさんの部隊は休憩中かい?」
 先に口を開いたのはそいつの方だった。
「ああ。作戦開始までまだ間があるからな。どうだ?貴様もこっちへ来て休まないか?」
 感じた脅威を隠すように俺はそいつに声を掛けた。正直、因縁をつけられずに、助かったと思っちまった。
 そいつは暫く黙って考え込んでいたが
「そうだな…。一仕事やる前に、小休止も必要かな…。」
 ひとりごちるようにそう言うと、にっと人懐っこい笑顔を見せた。そしてどっかと俺の傍に座った。
 俺よりも十以上は若いだろう。年の頃は二十代中頃といたところか。だが、鍛え込まれた身体は半端ではない。男の俺が見ても惚れ惚れとするような引き締まった身体をしている。
「飲むか?」
 俺はマグカップを差し出した。珈琲の匂いがぷんと漂う。
「こんな所だから、インスタントしかないけどな…。」
 そいつはマグカップを受け取ると黙って飲み始めた。
「おまえさん、アジアンかい?」
 そう尋ねた。この時代にあっては、白人、黒人、黄色人の混血化は更に進み、この青年のようにはっきり区別できるくらいの純血種は少なくなってきている。深いダークグレイの瞳が印象的だった。
「ああ、ジャパニーズだ。」
 彼は悪びれるでもなく答えた。
「ほう、ジャパニーズか。」
 母星の地球にあっては北半球にある小さな島国家だったと聞いたことがある。「サムライ」の国だ。
「俺はナムル、アジアンとアメリカンの混血さ。」
「そうか…。」
 彼は左程関心を示した風はない。出身などどうでもいいといった感じだ。
「俺は乱馬。」
「乱馬か…。変わった名だな。」
「かもしれねえな。」
 そいつは笑った。
 俺たちは肩を並べあって、これから突撃するだろう要塞を見ていた。
「今回の山は厄介だな。」
 俺がそう話し掛けると
「ああ、無体にも人質を取るような連中だからな。一筋縄じゃいかねえだろ。でも…。」
 彼はキッと見据えた。
「絶対に完了させてやるさ。それが俺の任務だからな。」
 この威圧感は何だろう。
 俺は青年をしげしげ眺めた。すると俺の視線が気になったのだろう。
「あん?俺に何かついてるか?そんなにジロジロ眺めてよう。」
 青年は人懐っこく訊いてきた。一杯のホット珈琲が彼の心を少しだけほぐしたのだろう。背負っていた重圧な気が少しだけ和らいでいた。
「あ、いや、変わった人形をつけているなあと思ってな。」
 思わず口を滑らせた。言ってから躊躇った。機嫌を損ねたのではないかってな。
 こういう仕事をしていると、まじないや縁起担ぎみたいなのを肌身離さず持ってる奴が居る。それかと思ったからだ。
「ああ、これかあ。」
 彼の顔が一瞬ほころんだ。
「何かのお守りかまじないのつもりなのか?」
 その表情につい気安く訊いてしまった。
「まあ、そんなもんかな。こいつはあかねさ。」
 彼ははにかむように答えた。
「あかね?…。恋人か誰かの名前か?」
 思わずそう尋ねていた。
「許婚だよ。」
 ぽつんと彼は言った。
「許婚?結婚相手か?」
 凡そこの青年からは想像できないような答についそう問い返すと
「ああ、許婚だ。」
 と言いながら少し頬を染めた。
「そうか。結婚相手が君に贈った人形か。きみの無事を祈っての…。」
「んな可愛い奴じゃねえけどな。」
 彼はほつりと言った。
「今頃臍(ほぞ)を噛んで悔しがってるだろうさ。何であたしも連れて行ってくれなかったのってな…。」
 にやりと彼は笑った。
「連れて来るって?こんな戦場へか?」
 目を丸くして問い返した。軍人に女性も数は居たが、こんな最前線には殆ど来ない。一般人の女だったら尚更、こんなところへ来たがらない。
「そこいらの野郎よりも強いぜ。俺の相棒だからな。」
 彼はすっと言ってのけた。
「ふうん…。何で今日は一緒じゃないんだ?」
「たまたま、こいつにも別の任務が入ったからな。っとこれ以上は秘密だ。」
 任務…。相棒…。
 意味深な単語が並んだ。
「相棒で許婚か…。」
 俺は思わず反芻していた。
「ああ、最高の相棒だぜ…。」
「じゃあ、命は粗末にはできないな…。何故、君みたいなのが、傭兵なんかやってる?正規軍に入ればいいのに。」
 俺の問いかけにそいつはわははと笑い出した。
「命を粗末になんぞしてねえさ。俺は、縛られるのが嫌なんだよ。主義や主張にな…。んなものクソ食らえだ。強さに理屈なんかいらねえ。連邦軍だって一皮剥けばやってることはテロリストたちとたいして変わらねえぜ。だろ?」
 俺は答えに窮した。確かに、大義名分を整えて戦っている我々も、反体制の連中から見ればテロ集団に違いないだろう。
「だが、傭兵の連中は死地を求めて戦いをするって聞いたことがあるが…。」
「んなの迷信だよ。少なくとも俺は違うな。」
 彼の目はギラギラと輝きだした。
「俺たちは生きるために戦ってるんだ。そう、俺たちはみだし者の力を必要としている奴等が居る限りはな。戦いは俺の生きる証みてえなものさ。死地じゃねえ!」
 彼はそう言うと飲み干したマグカップを赤土の上にトンと置いた。
「ま、俺は正確には傭兵じゃねえけどな…。」
 小さく呟くように彼は言った。
 俺は懐から煙草の小箱を差し出した。
「おまえも吸うか?」
 そう言って差し出した。
「地球製の奴か…。久しぶりだ。」
 そいつはそう言いながら口に咥えた。軍に配給される極上品だ。くれてやるとかそういう気持ちではなかった。彼に吸わせたいと何故か思ったから手が動いたのである。こいつは本物を知っている。本物の男に違いない。

「世話になったな…。」
「もう、行くのか?」
「ああ…。そろそろおっぱじめねえと…。早いこと任務を遣り上げて、こいつのところへ行ってやらねえと…。」
 そう言いながら人形を指差した。
「俺がいねえと危なっかしくってたまらねえ…。」
 ゆっくりと立ち上がる。そしてバズーカ砲を軽々と持ち上げた。
「生きろよ!」
 右手の親指を立てて俺は奴にエールを贈る。
「誰に向かって言ってやがる。」
 そいつはそう言いながら笑った。ダークグレイの瞳が燦然と輝き始める。

 彼は後ろを振り返らずに歩き出した。
 真っ直ぐに戦地へと。その背中が大きく揺らめく。
「じゃ、またな。」
 そう聞こえた。
 母惑星の木星が頭上に大きく輝く。その光を受けた彼の背中に黒い大きな羽が見えたような気がする。天に向かって真っ直ぐに伸びる漆黒の羽が。
 俺は真っ直ぐに歩く青年に向かって呟きかけていた。
「ダークエンジェル…。」
 その時俺は確信した。彼こそが「黒い天使」なのだと。
 



 それから作戦は見事に成功した。
 テロリストたちを打破し、人質は解放された。
 任務が終われば流れてゆく。イーストエデンの敏腕エージェント。ダークエンジェル。
 その後俺は、二度と彼と見(まみ)えることはなかった。








一之瀬的戯言
 栄えある、パラレル作品の始まりの一編です。
 半さんのサイトの記念画から広がった妄想は、古い私のオリジナル作を引っ張りあげてくるにいたりました。
 底辺にあるのが、オリジナルな作品ゆえに、原作からはかけ離れたパラレル乱あとなります。
 その辺りをご承知の上、楽しんでいただけると嬉しいです。
 かなり奔放で深い「ダークファンタジー・サイエンス・ファン・フィクション」になりますので、長くお付き合いくださいませ。

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