鞦韆(ぶらんこ)

 少しずつ日が長くなり始めた。彼岸が過ぎれば昼間の方が長くなるのだからそれも当然なのかもれねえが。でも、夕方になると風がどこからともなく吹いてきて、少し肌寒い。
「カーディガン羽織ってくれば良かったかなあ…。」
 傍らで少女がぽつんと言った。
「上着貸そうか?」
 俺はちらっと彼女を見ながらそう言った。
「いいよ…。乱馬、その下、黒タンクトップ一枚なんでしょ?風邪引いちゃうよ。」
 と切り替えされた。
 暖かな午後、二人で二年生の教科書を買いに出かけた。
 指定の本屋で新学期までに次の教科書を買う。中学までの義務教育と違って、高校からはこうやって個別に教科書を買いに出向くのである。七面倒だが教科書がなければ授業にもならないので仕方がない。
 真新しい本の入った紙袋はズンと重い。
 数学、英語、国語に古文、物理に生物に日本史に…。主用教科の教科書だけではなく、副教科のそれもある。またご丁寧に副読本までぎっしりと詰まっているのだから、大変だ。
 本屋の近所でクラスメイトたちと会ってしまったものだから、真っ直ぐ帰るのもなんとなく癪に障るから、大介やひろし、ゆかやさゆりといった仲良しな連中と少したむろって安いファーストフードの店でお茶を啜りながら過ごして来た。
 気がついたら日は西に傾き、人々の足が忙しなくなる夕暮れを迎えていた。
 赤い夕日の残照が、あかねの頬をかすかに染める。
 俺はこそっとそれを盗み見ながら、ゆっくりと歩いていた。
 折角の二人きりの時間。
 本当ならもう少し接近してみたいのだけれど、なんとなく躊躇われる足並み。片手にぎっしりの教科書。だがもう片手は空いている訳で…。で、結局、二人は一定の間隔を取りながら肩を並べている。
 意気地がないと言う事なかれ。これが俺たちの今の関係。
 繋ぎたい気持ちは多々あれど、でも、躊躇われる。それが俺。

「近道しよっか…。」
 
 あかねがちょっと微笑んで俺を見返した。
「近道?」
 俺は怪訝に見上げる。本当は近道なんて嫌だ。何が嬉しゅうて家に早く着きたいと思うものか。同じ屋根の下に暮らしているとはいえ、帰るとお邪魔虫ぞろぞろの家族たち。日常会話さえままならないことがある。仲良く喋ろうものなら「いつの間にそんなに仲良くなった?」とかなんとか言われるのだ。
 それははっきり言って煩わしい。
 あかねは近道することに乗り気らしく、俺の生返事を聞き流して、たったと先に足を運び始める。
 俺ははあっとひとつ溜息を吐くと、彼女を追いかけた。
 あかねは子供の頃からこの辺りにずっと暮らしているだけあって、道には精通していた。細い路地や見知らぬ道を平気で辿ってゆく。
「大丈夫かあ?本当に近道なんだろうな?」
 俺は後ろから声を掛ける。
「大丈夫よ。方向音痴の良牙君じゃあるまいし…。」
 あかねはそう言ってどんどん先に行く。
(良牙の名前なんか口にするなよ…。影がさしたら嫌じゃねえか…。)
 後姿にそんな言の葉を差しかける。勿論音にはしない。

 くねくねと路地を抜けると、見慣れたところへひょいっと出た。近場の児童公園だ。
「ほお…。こんな所に繋がってたのか。」
 俺は後ろから感心して声を出した。
「でしょ?ちょっとだけ大通りより近道なんだ。子供の頃、良く辿ったものよ。」
 あかねは目を輝かせて言った。
「子供の頃かあ…。あかねにもそんな時代があったんだな。」
 俺は目を細めた。少しだけあかねが子供の頃のことを想像してしまった。
 あかねのガキの頃の写真を何回か見せてもらったことがあるが、今とあんまり変わらない短い髪の毛のお転婆娘だったようだ。スカートよりもズボンを履いて泥だらけで跳ね回っていたようだ。でも、笑顔は今と同じくらいに輝いている。そんな幸せな子供時代。
 あかねは公園を横切る途中、ふとぶらんこのところで足を止めた。
「どうした?」
 急に止まったあかねを俺は不思議そうに見上げた。
「ちょっとね…。乗ってみたくなっちゃった。」
 次の瞬間あかねは
「はい。」
 っと教科書がぎっしりの紙袋を俺に差し出していた。すっかり身軽になるとぶらんこへ足をかける。
「お、おいっ!」
 俺はあかねを顧みたが、構わず漕ぎ出す。
 立ちながら漕ぐ。
 きいきいとぶらんこが軋み音を上げながら振り子のように前後に動き出す。
 最初はゆっくりだった動きもだんだんと速くなる。
「仕方がねえ奴だな…。いい大人が乗るもんでもないだろうに…。」
 ふっと一つ溜息を洩らすと、俺は傍らのベンチに教科書の紙袋をドンドンと置いた。
 あかねは嬉しそうにぶらんこを立ち漕ぎしている。
「ねえっ!こうやってると天へ届くんじゃないかって子供の頃思わなかった?」
 あかねは夕焼けの空を見上げながらそう訊いて来た。
「そうだな…。雲の上に乗っているような気がしたっけかな…。」
 俺はベンチにどっかと座ってあかねを見た。足を組んで、頬杖をついてあかねと夕焼けを見比べる。
 あかねのスカートがひらひらと舞い上がり、彼女はぶらんこへ座った。
「昔さあ、こうやって立ち漕ぎから座るのって難しいって思わなかった?」
 あかねは笑いながら俺を見た。
「ん…。俺はそんなこと思った事ねえなあ…。運動神経良かったしよ…。」
「そっか…。あたしさあ、怖かったんだよね。なんだか振り落とされるような気がして。」
「おめえは特別に不器用だからな。」
「あーっ!言ったな。」
「へっ!図星だろ?」
 俺は笑って見せた。
「こうやってさあ、ぶらんこ漕いでるとお母さんに会えるようなそんな気になったもんよ…。」
 あかねはぽつんとそんなことを言った。
 そうだ。彼女の母はもうこの世にはいない。子供の頃に亡くしたんだっけ。
「丁度、ぶらんこが一人で漕げるようになった頃に会えなくなったから。座れるようになった姿、お母さんに見せてあげたかったんだ、あたし。病室で今度退院したら見せてあげようって頑張ってたんだけどなあ…。」
 あかねは空を見上げた。
「その夢、果たせたのか…。」
「ううん…。残念ながら、お母さんには見せられなかった。」
 あかねは寂しそうに笑った。
「そっか…。」
 俺もしんみりとした口調で答えた。
 と、今度はあかねがポオンっと靴を飛ばした。
「お、おい…。」
 何やってるんだよと俺が振り向くと、
「こうやって靴の飛ばしあいもよく友達とやったっけな…。あのベンチのところまで飛ばせたらお母さんに会えるっていつも粋がってたっけ…。」
 あかねは遠い目を飛んでいった靴の方へ向けた。
「拾って来てやるよ…。たく…。子供みてえに…。」
 俺はあかねの心の寂しさをキャッチして、そう言うと、その場から少し離れた。
 あかねはきっと幼い自分を振り返って、母のことを思い出したのだろう。泣き虫のあいつのことだから、寂しさがこみ上げてって言う風になってるかもしれねえ。そう思ったから、敢えて彼女から離れたのだ。
 あかねの靴は傍らのベンチの草むらにコロンと転がっていた。俺はそれを拾い上げるとあかねの方をそっと盗み見た。あかねの乗ったぶらんこは勢いがなくなってゆらゆらと軽く揺れているだけだった。両手で鎖を抱え込んであかねがじっと空を見ていた。
 夕陽があかねの顔を照り返して赤く染めている。
「茜色…か…。」
 俺はそっと口に出してみた。
 それから彼女の方へと静かに歩いてゆく。
「ほら…。」
 そう言って差し出す靴。
「ありがと…。」
 そう言って微笑み返すあかね。心なしか俺の顔も赤く染まったような気がした。
「あの頃は夢中でぶらんこ漕いでたなあ…。いつの頃からかな…。ぶらんこを漕がなくなったのは…。」
 あかねはそう言うと立ち上がった。主が居なくなったぶらんこはぶるんと一つだけ大きく揺れた。
「少しずつそうやって大人になってゆくんだよ…。」
 俺は空を見上げながらそう言った。
「そうよね…。」
「なあ、母ちゃんが居なくなって、やっぱ寂しかったか?」
「寂しかった…。そんな素振りをお姉ちゃんやお父さんたちに出せなかったから余計にね。こうやってここへ来てはぶらんこに乗って紛らわせてた部分もあったのね…。きっと。ごめん、煩わせちゃって。」
 あかねはそう言いながら教科書の袋を持った。
「煩わしいなんて思っちゃいねえよ…。俺だって寂しいときはあったからな…。親父はあの調子だし。つい最近までお袋が居ること自体知らずに通してきたからな。おめえの寂しさは少しくらいは理解できるよ…。」
「乱馬…。」
「あ、言っとくがな、傷を舐め合うような真似は絶対しねえからな…。俺は。」
 がさっと紙袋を持ち上げると、今度はあかねに手を差し出す。
「帰ろう…。トンだ近道だったな…。」
 そう言って繋ぐ手。
 さっきまでぶらんこを握っていたせいで、冷たい手先だった。それを少し握って俺は息を吐く。きっと真っ赤な顔をしているだろう。さっきまでの躊躇いも二人の距離も今はもう…。
 公園の外灯が白い光を点滅してぱっと点いた。春の夜風が頬を掠めて流れてゆく。
 夜の帳と共に星がゆっくりと下りてきて、俺たちを包む。
 黙って歩き出す俺とあかねと。会話はなくても心は十分に満たされてゆく。多分、あかねも。

 夕闇の空にはいつの間にやら月が宿る。
 春の宵。明日もきっと上天気。






一之瀬けいこの戯言
難しすぎるだろうな…小学生の娘には…。
でもってPちゃんはどうした、Pちゃんはっ!!
あかね編を書きたいと思ってしまった。…半ちゃん書きません?
で、「P’S HOUSE」へ貢ぐの?こんな難しい情景作品…。う〜む…。ま、いいか。